元号論のウソ

「二中暦・万葉集を完全無視」

このところの元号狂騒曲にはうんざりしてしまいますが、
この問題に関しては、
「元号が変わることに人々の関心が引き寄せられている。
統一地方選第一弾が4月7日に投開票日を迎える。
主権者が政治問題に関心を集中させなければならない時期に、人々の関心を政治からそらせる魂胆がありありとしている。」
という植草一秀氏の指摘が当たっている。
やれ、ありがとう平成まんじゅうが売れたとか、
こんにちは○○まんじゅうで新しい時代を祝いたいとか、
とにかくばかばかしい話題を延々と流している。
事務手続きや機器のインプットの手間暇を考えれば、
西暦に一本化すべきだと思うのですが、
とるに足りぬ専門家をむちゃくちゃに登場させて天皇制を擁護している。

NHKなどは「1300年間続いたわが国固有の伝統」などと言っているし、
新聞でも、
「645年の大化から平成まで計 247の元号のうち、
確認できる出典はすべて中国古典だ。
政府は今回専門家を国文学・漢文学・日本史学・東洋史学の分野から選び」
うんぬんという具合に書いている。
しかし、これらが全くの誤りであることは古代史論をやれば明らか。
室伏志畔氏は、

イエズス会は日本にフランシスコ・ザビエルを筆頭に優秀な宣教師を送り込んだが、その一人にジョアン・ロドリゲスがあった。彼は日本語に長け、通事として秀吉に近づき、中国との生糸貿易の折衝に当たったこともあって、日本の政治の裏側に通じたらしい。その彼が残した「日本語文典」に思わぬ次の一文を見ることができる。
「年号表示することについて、日本人の間に二つの意見がある。一つはキリスト紀元の 522年に、善記を以て第一の年号がはじまるというものであり、今一つは刊本の年代記のようにキリスト紀元の 701年に始まる大宝を以て初とするものである。」
この証言は、この国の元号が―(中略)―正史による年号観と違うものである。
701年の大宝に始まる連続年号はいいとして、今一つの善記をもってはじまる第一の年号群ついては聞いたこともないというのが正直なところであろう。しかし、この善記にとどまらず、30数個の連続年号が九州の寺社関係の古文書を中心に全国で散見される。

と述べています。
言うまでもなく九州王朝をまたそれに先だつ八雲王朝をも隠ぺいするため、
日本書紀は整合性のない大化を645年に持って来たのですが、
これは当時の地名と符合しないため、
695年のあたりから剽窃してきたものだろうと現在は考えられている 。

こうして決まった新元号が「令和」とのことで、出典は万葉集からとのこと。
ネットを見ていたら、

新元号の出典は現存する日本最古の歌集「万葉集」。万葉集は7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集です。
ネットの反応を見てみると、新元号に慣れてない感じの意見が多く、「ピンと来ない」「予想と違った」「思ったよりも良いと思う」などと人によって反応は分かれていました。画数の少なさを歓迎する声も見られ、これから令和の時代に入ることに前向きなコメントが多かったです。
新しい時代が始まる瞬間だと言え、新元号に日本中が盛り上がっているところです。

などという反応が一般的なのかと思い絶望的。
万葉集は九州王朝の勅撰歌集
であり、だからこそ冒頭に雄略作?といわれる例の歌が来る。
「籠(こ)もよ み籠(こ)もち ふくしもよ みぶくし持ち この丘(をか)に菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾(われ)こそをれ しきなべて 吾(われ)こそませ 我こそは 告(の)らめ 家をも名をも (巻一・一)
しかし、平安期に手弱女風にかなで読み下されたこの歌、
実は古代百済語で解釈するとよくわかる。
というのは、いわゆる倭の五王の始祖は、
392年に九州に来た百済宗家の兄王だったのであり、
これが応神とされ、394年に没してからは倭王賛(395~429)となるからです。
一首の正確な意味は下のようになり、

「狛よ瑞穂の狛たちよ
復旧よ瑞穂の復旧のものたちよ
この丘に私は先代と並び立ち
ここに家を造り告げて住もうと思う
斯慮弥耶やまとの国は
押さえおきて統治者は私一人である
鎮めねかして私は自ら位に就く
私急ぎきて告げる
ここに来る出てくると」

これは百済から来た王の即位宣言であり、
九州王朝勅撰歌集としての万葉集冒頭歌にまことにふさわしいのです。

PROTOサイエンスから、あなたへ

株・先物・ギャンブルで実証された「予知能力」について知り、
治癒・好転に導く「驚異のパワー」を体感してみませんか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA