古代史論6世紀まで終わり

「展望が立ってきた」

昨日古代史論の「磐井の乱と蘇我・上宮王朝時代」を終え、
ホームページにアップすることができました。

現在の高校教科書にはこの「磐井の乱」について、「大和政権が発展する過程で畿内や各地の首長の反抗があり、大王家自体も幾度か衰退したと考えられる。しかし 6世紀初め、新羅と結んで反抗した筑紫国造磐井を打ち破った(磐井の反乱)ことにより、大和政権の政治組織も強固となり、統一国家は完成の段階にいたった」とされているようですが、これでは乱の原因もはっきりせず、経過もあいまいで、糟屋の屯倉一つで決着するような結果も到底納得はできないはずです。
この「磐井の乱」に対しては、舞台を九州に移した古田武彦氏や大芝英雄氏の説もあるのですが、これらも納得のできるものではなく、それは時の倭王が特定されないまま考えることから生じた不都合だろうと兼川氏は指摘しています。前項までの考察で私たちは、倭王武こそが筑紫の君だったことを知ったのですが、だとすれば倭王武こそが岩戸山古墳の磐井であると考えなければならないわけです。そしてこの筑紫の君磐井は温祚百済の系統に属していたのであり、「磐井の乱」とはその彼が継体に討たれたという事件なのだと兼川氏は主張します。

「日本書紀」はこのあたりからめちゃくちゃになっていくわけですが、
本当のところは、
継体亡き後、筑紫をもらい受けた物部麁鹿がそのあとを継ぎ、
麁鹿亡きあとは、蘇我稲目からその子馬子へと権力が受け継がれ、
筑紫において蘇我・上宮王朝が花開いていく。
このあたりをしっかり押さえれば、
645年の大化の改新など「日本書紀」のでっち上げである、
ということがはっきりわかるのですが、
兼川普氏の精緻な考察はほぼ完ぺきに完結しているといえる。
こうしたことが国民に浸透してくれば、

戦後の伊勢神宮を、地元三重県警本部長として見聞した渡辺一太郎さんは、その後、千葉県警本部長、千葉県副知事、参議院議員になって、筆者と出会うのだが、彼は伊勢神宮の隠された秘密を明かしてくれた。
そこへと参拝したのは、安倍だけではなかった。枝野も、である。やはり何かがあるのだろう。
ここに参拝する人間の精神は、民主主義と相いれない。覚醒した皇族にも、同じ思いをする者が少なくないだろう。
政権の中枢を見聞してきた清和会OBは、20年ほど前に「覚醒した」といい、それは「明治は神話なる非合理を軸につくられたもの。天皇史も神社神道も。万世一系も史実に反する。その先に象徴天皇制もある。今日の合理主義・民主主義の時代に、神話を押し付けようとしても、到底無駄なことだ」となる。

といったこの国のむちゃくちゃな政治にも終わりが来ると考えられる。

いずれにしろ、
古代史の課題はあとは、
「二つの倭国と白村江の戦い」「壬申の乱と九州王朝の終焉」
を残すだけとなり、
古代史のハイライトの部分に入ってくる。
ただ、兼川普氏の壬申の乱以降の扱いがちょっと軽いので、
九州勢がいかに粛清されていったか、
東北王朝との絡みがどうなのか、
また中臣鎌足や藤原氏の位置付けはどうなるのかを最後にやらねばならない。
そう思っていると、適切そうなサイトが現れるのです。
これつくづく天界に導かれているのだな
と思わざるをえません。

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