予測がほぼ的中

「今後10年は安心」

一昨日、701年までの古代史が完了。
白村江の敗戦、唐の筑紫占領、
吐藩の反乱による撤退と壬申の乱、
その前の九州と吉備・播磨の激突などすべてを描きました。
あと、大津の皇子の変以後の内乱に関しては、

こうして最後まで終わってみると言えることは、天武の正室たる皇后は大田=物部系大氏の娘であり、持統は中宮でしかなかったことは京薬師寺東塔の銅板の擦銘からも判明している(室伏氏)。大田の皇子たる大津は早々に謀殺され、高市皇子も途中で死に、結局斉明・天智・持統の血筋の文武を経て大和朝廷が成立していくわけですから、九州勢対吉備・播磨勢の戦いは最後に吉備・播磨勢の勝利となったことがこれでわかるわけです。
室伏氏によれば、天武は、畿内大和を拓いた物部系大氏の支援を受けて壬申の乱を制し、その勝利に貢献したのは他にも392年に筑後から追われた武内宿禰の藤氏、
さらに遠く3世紀まで遡れば、追われた出雲系・九州系も近畿に定着していた。そこに同じく追われた卑弥呼系祭祀集団が合流し、三輪山の太陽信仰が成立したことを思えば、それらが現在見る影もない無残な形である事は、天武没後の短期間に大津皇子の変に始まる内乱があったことが推測されます。例えば、「書記」が蘇我氏殺しを大和で起こったかのように、大津皇子の変の時の大氏殺しの現場を、乙巳の変に割り振っていることにそれは明らかだと言われます。
また、持統紀にある近畿豪族への墓記提出命令を見ると、これらが8世紀に九州倭国の地名の移植を図り按配したものの、まだ何が出るかわからぬため発掘不許可とされている。さらに、九州王朝の勅撰集たる万葉集にもこの時期の粛清の跡が残っているのに、それらは平安期に手弱女風に漢字仮名交じりにされ、その真意を国語学者も読み取れないのだと指摘されます。
兼川氏は、長屋親王が何故即位できなかったのかは疑問だと述べていますが、こうしてみると疑問なのは、乙巳の変を引き起こした中臣鎌足の出自やそれが不比等の時代に藤氏を名乗っていく過程も問題です。壬申の乱・大津皇子の変と密接にかかわるこれらの事柄は、現在の所九州王朝論者による統一的視点の文献も無く、筆者には手に余る所と申しあげられます。いつの日か、第二・第三の兼川・大芝氏のような優れた民間史学者の出現を待って、再度論じたいと考えております。

と結びました。

7月に東北王朝論を書けば、
その後は鎌倉期以降の寒冷化に伴う「日本中世奴隷制論」、
ポルトガル人による奴隷売買を禁止した、
織豊政権以降の「ヨーロッパ人の来航と日本近世」、
しかし産業革命後の欧米金融資本の前に鎖国もくずれ、
イギリス金融資本がアヘン戦争に続く中国侵略のため、
薩長を使って大陸侵攻に出る「欧米金融資本と跛行的近代」、
とほぼ一直線につながる比較的分かりやすい時代となるので、
来年春までには終わっていくと思います。
その頃までには、
20世紀までの古典的医学を越える、
「イントロダクション」シリーズもある程度のボリュームとなるので、
あとは「エネルギー医学概論」の執筆に取り掛かりる予定。
YES/NOの精度を120%まで高める手立ては7月中に終わるだろうし、
クンダリーニを一気に上昇させる方策も7月中には終わる。
あとは静かに日経225だけと思っていました。

そしたらそこへ、夜寝てから直下型の揺れが。
鉄骨がきしむような音と緊急地震速報のアラームで起こされ、
ただ、揺れが一回だけだったので何事もなく寝ましたが、
ウォッカを追加で飲み過ぎて昨日は休みに。
考えたら、約2年以上前に視た時、
1・2年以内の地震があると出ていましたが、
来ないな来ないなと思っていたのがやや時期と地域がズレて来たわけで、
逆にこれであと10数年は大丈夫になったわけです。
また、先日放射能汚染を見た時も、
10年間は大丈夫ということでしたが、
それと裏腹に最近関東甲信までがひどくなっている。
今回東京が予想以上にひどくなっているのに驚きましたが、
神奈川・東京・千葉・埼玉ではYES/NOは無理
になっていくのではないか。
事実上γ線で0.07μ㏜/hを越えると不可能なので、
関東全域そこまで行くのは時間の問題。
今後は安全かつ便利な場所でゆったりと暮らすべきことを再確認し、
ここなら駅や空港まで30分、
天に感謝しながらYES/NOで生きていくつもりです。

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