磐梯山が熱い

「那須鳥海火山帯が活発化?」

先週の土曜日会津へ帰ったのですが、
そのついでに事務の者の実家の裏磐梯へも行ってきました。
で、そこでの出来事なのですが、
車のドアをあけると途端に何か金属音のようなものが聞えた。
それで、「エアコンとか何か工事の音かな」といったら、
「セミの声じゃない?」とのこと。
まぁ、そう言われたので最初は不思議に思わなかったのですが、
用事を済ませて車に戻ってくると暑くて喉がからからなくらい。
大急ぎで猪苗代の町のファミリーレストランに行き、
やっと一息ついたところで考えてみたら、
あの一帯が異常に暑い感じがしました。
大体、六月だというのにセミなどでてくるはずがないのですが、
事務の者だってこんなことは初めて経験したとのこと。
先週の終わりには鹿児島の桜島の噴火が活発化している、
という情報も流れて来ていたので、
磐梯山はMJルート・PJルートのどちらだったかを、
帰ったら確認すべきと思いました。

それで帰って来てから調べてみると、
MJルートの熱は紛れもなく、
那須鳥海火山帯を経由して北上していくことが、
角田史雄氏の研究で明らかになっていた。

北陸・中越地域に至った熱エネルギーは、
その後北上を続けて東北地方に移送されるのか。
この問題に対しては、
東北の火山性地震や火山活動の発生年を地図上にプロットし、
下から上への規則性が見つかればその仮説が正しいとなります。
角田氏が作成した図は、
見事に中越地域から東北地方への熱移送を証明しているようです。

ということで、
裏磐梯一帯の異常な暑さとセミの鳴き声が、
地熱の上昇を物語っているのではないかと思われました。

この磐梯山、明治の頃にも大噴火を起こし、
それによって裏磐梯の現在の風景が出来たわけです。

1888年(明治21年)7月15日、磐梯山は噴火を起こした。噴火によって発生した山体崩壊によって、磐梯山を構成していた4つの成層火山のひとつであった小磐梯は全面的に崩壊し消滅した。山体崩壊は大規模な岩屑なだれを引き起こして北麓の檜原村方面を襲い、3つの集落が埋没した。岩屑なだれは長瀬川とその支流を河道閉塞したため、桧原湖、小野川湖、秋元湖などが形成され、2つの集落が移転を余儀なくされた。そして岩屑なだれは長瀬川の水などを含んで泥流化し、長瀬川流域を流れ下って中流域の集落に大きな被害をもたらした。

これまで注目してきた西日本大地震というのは、
1596年の慶長地震は中央構造線の上を連鎖したわけですが、
もっとマクロに慶長大地震という範囲で眺めると、
1596年から 1615年に日本各地で起こった地震を総括する名称で、

慶長大地震(けいちょうおおじしん)は慶長年間(1596年 – 1615年)に日本列島で起こった地震。慶長の大地震(けいちょうのおおじしん)ともいう。ただし、正確には慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震発生は文禄5年であり、その後、これらの天変地異を期に文禄から慶長に改元されている。
なお、1596年の3つの地震は記録の日付が錯綜しており、慶長豊後地震を9月1日とするものもある。また、1605年の慶長地震は定説であった南海トラフが震源ではないという異論も出され[1][2]、さらに従来三陸沖が震源とされてきた1611年の慶長三陸地震も北海道太平洋沖に震源を持つ超巨大地震との説が出されるなど[3]、震源域に諸説あって不明なものも多い。

ということですが、
何と1611年には会津でも大地震が起きている。
西日本だけではなく今後の東日本の危険性
もYES/NOで見てみる必要があると思われます。

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