西日本大震災後の地殻変動

「慶長年間の大地震の再現」

六月の初めに「磐梯山が熱い」という話しをしましたが、
そこで裏磐梯一帯の異常な暑さとセミの鳴き声が、
地熱の上昇を物語っているのではないかと申しあげました。
そして、

これまで注目してきた西日本大地震というのは、1596年の慶長地震は中央構造線の上を連鎖したわけですが、もっとマクロに慶長大地震という範囲で眺めると、1596年から 1615年に日本各地で起こった地震を総括する名称で、何と1611年には会津でも大地震が起きている。西日本だけではなく今後の東日本の危険性もYES/NOで見てみる必要があると思われます。

と述べました。で、
「西日本大震災後10~20年間は、慶長大地震に似た地殻変動が起きるのか否か」
についてYES/NOで見てみた結果は、
2:0で起きるとのこと。

こで、慶長大地震というものを詳しく見てみると、
まず 1596年の四国大分伏見と連続した、
中央構造線上の地震が最初に来る。
次に、1605年の慶長地震が発生し、これは、

関東以西の太平洋沿岸をおそった津波。被害記録のほとんどは津波によるもので、地震動に関する記録は乏しい。現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者1万人から2万人を数えた。従来震源断層は南海トラフと考えられていたが、紀伊半島沖と房総沖が連動したとするもの、伊豆・小笠原海溝とするものや、パプアニューギニアなどの国外とする異論もある

続いて、1611年の会津地震とそれに続く慶長三陸地震があり、これは、

奥羽・蝦夷地太平洋沿岸をおそった津波。被害記録のほとんどは津波によるもので、仙台藩で人の死1,783、南部藩・津軽藩で人馬の死3000余。従来震源は三陸沖の日本海溝沿い考えられていたが、津波の痕跡の範囲などからこの定説に疑義があるとされ、南千島沖・北海道太平洋沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。

そのあとさらに、1614年に起きた慶長十九年十月二十五日の地震があり、 

越後高田で津波被害の記録があり、従来高田領大地震(たかだりょうおおじしん)[1]あるいは高田地震とも呼称されてきたが[2][3]、被害記録は広い範囲に及ぶ大地震?にもかかわらず史料が少なく実体不明な歴史地震とされ[4]、震源については検討すべき課題が多いとされる[5]。
越後高田のみならず、会津・銚子・江戸・八王子・小田原・伊豆・伊那・駿府・三河田原・桑名・伊勢・津・京都・奈良・大坂・紀伊田辺・伊予松山など広い範囲で大地震の記録があり

ということ。

6月中に見たこれらの結果を総合すると、
関東以西の太平洋沿岸に位置する原発は浜岡と薩摩川内、
三陸沖に地震が来た場合は女川と東通のほか六ケ所村、
越後高田に来た場合は柏崎刈羽の臨界が想定される。
今年の年末の伊方の過酷事故を手始めに、
これらの原発事故が起きるのか否かも今年中にみる必要がありそう。
その結果いかんで、
日本列島はすべて放射能漬けとなるかもしれない
わけで、
私たち全員がどこか外国へ避難すべき事態となるとすれば、
日本という国はそこでいったん滅亡と考えられるわけです。

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