美しい季節

「詩人の恋とメゾン・ラフィット」

昨日は久しぶりに天気が良くなって、
空気が透明で遠くの山々が芽吹いてきた緑と、
上の方の少し残っている雪とがちょうどいいコントラストに。
我が庵では、朝からウグイスの鳴き声が聞こえ、
萌え立つ緑の若葉の陰で様々な小鳥が歌っていました。
こうした時期になると思いだすのが、
シューマンの「詩人の恋」の中の「うるわしき五月に」。
バリトンの独唱がはじまる前の、
ピアノの最初のタッチの音がなんとも言えない季節感を表している。
関東にいるとわからないのですが、
わが故郷会津では今ごろの季節は、
冬は終わったのか、春が来たのか、
あるいはもう初夏なのかが感覚的に揺らぐのです。
日差しは初夏のようでも朝はまだ冷たく、
桜の後柿の木に若芽が芽吹いてくるのがこの季節で、
老人や子供は温度の変化で体調的にも狂いやすい時なのです。

で、この季節もう一つ思い出されるのは、
「チボー家の人々」の主役ともいえる、
少年時代のジャックとジェンニ―がテニスに打ち込む、
メゾン・ラフィットの情景。
明るい日差しと緑なす木立に囲まれて、
若い二人の躍動感のある動きが思い浮かばれるのですが、
ご承知のようにジャックはその後革命を目指して死亡し、
ジェンニ―はジャックの形見のジャン・ポールを育てていく。
第一次大戦の前の 19世紀的な世界が、
見事に変容していくつらい時代が待っているわけで、
それはまたルービンシュタインやラフマニノフ、
が経験せざるを得なかった喪失と無縁ではない。

そんなことをかいていたら事務の者が寄ってきて、
「年代的に言っても大体そんなことがみんなに分かるのか」
とのこと。
でも、シューマンの「うるわしき五月に」は、
クラシックをやっている人間なら常識として知っているはずだし、
「チボー家の人々」は、
白水社から今でも出ているのだから、
普通の人は学生時代に全巻を読んでいるか、
中学高校時代にダイジェスト版を読んでいるのではないか。
もしそれが私の認識違いならこの国はかなり劣化した
という結論にならざるを得ない。
だって、もしハインリヒ・ハイネを知らなかったら、
アルチュール・ランボーの「サンサシオン」にも行きつけないだろうし、
ヴェルレーヌの「落葉」も知らないことになる。
これは一般的な教育水準の問題であって私の責任ではないこと。
空を見上げた方がいい。

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