G7が伊勢神宮を参拝する意味

「ウソは泥棒の始まり」

G7伊勢志摩サミットが26日開幕しましたが、
「同日、G7各国首脳は関連行事として伊勢神宮を訪問した」
とさりげなく報道され、
さらには、
「首脳が伊勢神宮を大絶賛!伊勢海老やアワビ、松阪牛などの高級料理も!」
などと伝えられております
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現行憲法の政教分離の原則もどこへやらといった、
この国の政府・マスメディアには絶句してしまいますが、
一方で、肝心の経済対策では
安倍首相のこじつけリーマン級危機説に異論噴出
だったようです。

まぁ、この国の首相が、
「伊勢神宮は悠久の歴史を紡いできました。そして、たくさんの日本人が訪れる場所であり、日本の精神性に触れていただくには大変良い場所だと思います。ぜひG7のリーダーたちに訪れていただき、伊勢神宮の荘厳で凛(りん)とした空気を共有できればよいと思います」
などといっても、
ちょっと調べてみると、
伊勢神宮には何らの正統性もなく、
大本営発表たる「記紀」に基づいてねつ造されたことは、西の出雲大社と同じ。
その証拠に、皇室の正式参拝が始まるのは、
薩長藩閥政府に擁立された、(偽の)明治天皇が初めてだったというのです。
詳しくは下記の本を。
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この本自体は、古代史の闇に踏み込むには力不足ですが、
伊勢神宮の成立に関して、そもそもどう考えられるのかというと

崇神天皇の時、皇位を狙うものが出てきたので三種の神器の分散を図るため豊鋤入姫に託して、大和の笠縫村へ赴かせた。次いで垂仁天皇の時、年老いた豊鋤入姫に替わり倭姫が伊勢の五十鈴川にて宝物を守った

というふうに言われています。
しかし、小林惠子「興亡古代史」によれば、

290年代半ば成立の崇神朝とは匈奴の劉氏による列島支配であり、大彦(崇神天皇)は、大和の神武勢を吉備津彦とともに制圧したが、埼玉志木(稲荷山古墳)に本拠を置かざるを得ず、大和には東川王以来の神武系が残存した。崇神勢は伝統的勢力を根絶やしにするわけにはいかず、祭祀権を臺與(卑弥呼の子)に、大和の局所的統治権をオオタタネコに与え、形式的倭国王として存続させたとされるのです。
また、次の垂仁・景行は共に鮮卑の慕容氏系王朝ですが、垂仁は遼東に在って半島・列島を間接統治したため、崇神系の祭祀権・大和の局所的統治権はそのまま温存された。しかし、大陸において劉氏が滅亡するに及び、次代の景行=慕容儁=ホムツワケ=ヤマトタケルが列島に至ると、先ず天照の祭祀権を崇神系から奪取することで列島制覇に臨んでいくとされています。強力な軍事力を背景とした転換がここで行われた。

ということになります。

要するに、日本列島の覇権は大陸・半島勢によってクルクル変わり、
三世紀後半から四世紀初めにかけては、
共に大陸由来の匈奴系に代わり、鮮卑系が覇権を握った。
その過程で匈奴の神が伊勢に追いやられた。
この神、元々は大和の臺與(卑弥呼の子)が祭祀していたのですが、
YES/NOでみると卑弥呼が信奉していたのは、別の神。
南方起源の邪馬台国の神と、北方起源のアマテラスとは、全くの別物。
「記紀」は、大和の神武系に伝わる伝承を改ざんし、
七世紀にニニギ・ホホデミ~アマテラスを創作したといえます。

まぁ、このことに関しては以前も書きましたが
G7といい、現在の日本政府といい、
目指すところは欧米主導の政策ばかり、
露・中やイスラム圏のことなど眼中にないというのが本当の所。
中でも、我が国は、
あたかも独立国であるかのような幻想を左右が共有しながら、
半鎖国状態の中で議論しているのは幕末と同じ。
そろそろ皇国史観から脱却しないと
何から何までネコババされてしまいますよ。

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