機能不全が各所で

「ウソは通用しないぜ」

村上龍の「半島を出よ」に関しては、これを批判する人もいて、
その視点は、
「作家が読者をどのような世界に誘うのかという問題意識」
でみつめると、
「核兵器の日本への持ちこみに関する日米密約などが白日の下にさらされ、米軍普天間基地問題に象徴される日米同盟の現実が日々伝えられる今日」
「あれこれと主観的に書き連ねるのは、誠に無責任である。」
という、政治的な視点だと思われます。
しかし、文学作品を評価する上で政治的視点を導入するのは、
まさに、スターリニズムであり、
小説家といっても、しょせん「戯作者」、
新聞記者などいってもこれも「瓦版屋」、
芸能人なんて気取っても、「河原乞食」がもともとの起源。
要するに、売れてなんぼの世界のものなのです。
因みに、モ―ツァルトは、晩年売れなかったから、
共同墓地に投げ込まれたわけです。

問題の本質は、政治ではなく、
この作家が感じ取った現代日本の危機的状況です。
戦後70年、「平和憲法」のもとで、各分野非常事態を想定することなどなく、
のうのうと既存の利権だけをむさぼってきた。
そうした時、北のゲリラが数人、
私たちの居住地に侵入してきたらどうなるか?
「家族が一番大事」などよくCMで流れるセリフなど、
全くのウソだったことが分かる。
また、「行政」に問い合わせてもつながらないか、
あるいは何の答も帰ってこない。
そうこうするうち食料等が不足し、
配給もなければ、水さえも不足するので、周りは病人ばかりになる。
でも、「医療機関は大丈夫なのでは」といわれれば、これもダメ。
例えば抗生物質の選択に際し、
現在の日本の医師たちはすぐ最新のものを使ってしまうが、
すると3・4日で薬剤耐性が生じ、後発医薬品などは効かなくなってしまう。
大体、彼らは、激烈な感染症(例えば破傷風)など見たこともないし、
極端な栄養失調患者にも対処できない。
専門分野に特化しているので、内科は外科的処置はムリ。
それに、先ず、女子供を優先するのがいいのか、
あるいは戦闘能力のある人物を優先するのかさえ議論がまとまらない。
燃料も尽きた時、死体も野ざらしになるのは、
東日本の時ありましたよね。
学校でも、職場でも、役所でも町内会でも議論ばかりが延々と続き、
何もまとまらぬうち、
先ず降伏していくのが恐らく政治家・公務員などなど。

(出典:http://mizmaru.blogspot.jp/2014_06_01_archive.html)

アメリカ映画のB級作品類似の状況で、
私たちはどう生き延びるべきか
を考えねばならないわけです。
戦後民主主義もエセ保守主義も通用しない現在
「たとえ組織や人がゆっくりと腐っていくような状況にあっても、説教でそれを変えることはできません。実際に腐った部分が切り捨てられないかぎりは何も変わりません。そしてそうした決断を下せるのは滅ぶ一歩手前といった切羽詰まった状況です。どうせ危機が起きない限り変革をすることはできないのなら、危機を取り返しのつかない惨事と捉えるのでなく、起こるべくして起こる必然と肯定してもいいじゃないですか。こうでなければならないという理想・規範をかかげ、それよりも劣った状態として現実を憂う窮屈な生き方よりも、危機のリスクを承知で勝手気ままに生きたほうが自由でいいじゃないですか。」
というのが正論だと思います。

(出典:https://twitter.com/dragoner_jp/status/6582197984640737280)

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