臣民の心性

「課題はとても重い」

新聞の投書欄を見ていたら、以下のようなものが。
なんでも、8月10日がお兄さんの命日で、
ところが戦死ではなく急性盲腸炎で入院したものの、手術もできずに亡くなったとのこと。
残されたご家族ですが、
「父は「国のために死んだのではなく、病気の死とはなさけない」と悔しがり、
母は何も言わず黙々と働き続けた」
とのことです。で、 私は、
「幼いなりに肩身の狭い日々だった」
と言う内容。
「スイカ、マクワ瓜、カボチャの煮付け、蝉の声、・・・。75年前の集落の景色が私の頭の中をぐるぐる回る」

(出典:http://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/eco/rs/2015rs06.html)

投書はさらに続き、
戦後このお父さんはお兄さんの死について話すことはめったになく、
お盆の夜墓参りの人が少なくなった頃お寺に行き、
真っ暗な無縁墓に蝋燭を備えるのを習慣にしていたそうです。
なかなかの名文なので、
現在80才のこの主婦の話、とても信憑性に富むよう。
私はここに、戦前からあるいは戦後も続く皇国史観の実態を見るのですが、
それは何も、膨大なイデオロギーとか、
圧制の結果として強制されたものでも何でもないようです。

(出典:http://shikisima.exblog.jp/i2/5/)

というのは、
私の父も、現在生きていれば110才以上、
片耳が聞こえなかったために兵隊検査に落ち、
どうもそれを引け目に思っていたようなのです。
戦後社会党に入って地方議会の議員となったこともあるのですが、
私の記憶に残る限りでは、子供をあやす歌が、
「ブンブン荒鷲ブンと飛ぶぞ」 という軍歌でした。
さらに母ですが、朝日と日経を購読し、それなりに民主的だったのですが、
私が30才を超えたある日、えらいかしこまっていうには、
「結婚する時はどんな女でも構わないが、朝鮮人だけはやめてくれ」
とのこと。結局、
皇国史観と戦後民主主義はまさに日本の大衆に支持された
のだと考えざるを得ません。
これを超えない限り、
この国根本的な再出発は不可能だと思われます。

(出典:https://mojim.com/twy114152x10x5.htm)

PROTOサイエンスから、あなたへ

株・先物・ギャンブルで実証された「予知能力」について知り、
治癒・好転に導く「驚異のパワー」を体感してみませんか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA