晩夏

「原田康子を想い出す」

昨日は、かかりつけの鍼灸院がお盆休みになるので、
午前中いっぱいかかって鍼を打ってもらい、
午後からは少し休みモード。
季節も巡り、風も涼しく、
もう秋の気配がそこかしこに。
で、このころになると、
文字違いなのですが、原田康子の「挽歌」を毎年思い出します。
何と言ったらいいか、
かつての私たちの地方都市の豊饒さが思い出され、
遠い喪失感といったものが浮かび上がってくる。

内容的には、
「『挽歌』のヒロイン兵藤怜子は、病弱のために旧制女学校を中退し、結核性の関節硬直で左ひじが不自由という障害を抱えている。彼女の家は祖父の代までは富裕だったが今は没落し、生活力の無い父親、大学受験生の弟、母親代わりのばあやの4人で暮らしている。怜子は普段はほとんど人と付き合わず、地元の素人劇団の美術部で裏方の仕事をしながら気ままに暮らす数え年22才の女性である。
彼女はふとしたことから妻子ある中年の建築技士・桂木節雄と出会い、桂木の夫人あき子と若い医学生とが恋愛関係であることを知る。怜子は桂木に「コキュ」(妻を寝取られた男)という言葉を投げつけ、自分の妻が不倫をしていることをすでに知っていた桂木の心の傷をえぐる。怜子の投じた残酷な一石のせいで、平静を装って暮らしていた桂木家の家庭生活にひびが入っていく。」
というありふれた光景なのですが、
当時の地方都市には、まだ活力があった感じがする。

で、それは、女たちのファッションなどともかかわり、
以下のブログ主の感想が的を射ていると思う。
「だいぶ前にビデオで「挽歌」を見た。昭和32年の作品だが、当時の釧路の町はとても日本とは思えない。原野に一本道、まるでロシアか北欧のようで、映画の中でも霧が多く登場する。50年代フランス映画のような日本なのに異国情緒ある作品である。釧路の広大な風景と当時としてはモダンな家とインテリア、そして何といっても主演の久我美子が原作のイメージを厳守している。
原田康子さんは「髪が長く、ガリガリに痩せていること」ことが女学生・怜子役の絶対条件だったらしいが、久我はそれにピッタリであったので安心したという。当時、人気急上昇のオードリーヘップバーンをかなり意識したらしいが、トレンチコートに黒のタートルネック、同じく黒のパンツにローファーは今見てもカッコいい。また、煙草をふかすシーンがあるがこれもきまっていた。この作品の衣装担当は森英恵さんで音楽は芥川也寸志という豪華版である。」
「昔のフランス映画に出てきそうな男性がどこまで理性を正常に保てるかわからないような女性。先ほどはオードリーヘップバーンと書いたがちょっと違う。フランスならジャンヌ・モローかジェーン・バーキンあたりであろうか。」
考えてみると、
こういう大人の女の対極にあるのがAKBだかNGTだかの少女たち、
金太郎あめの女版なのではないのでしょうか。
だから、この国の現在を一言で言うなら、
新幹線と高速並みのスピードで、あらゆる領域で幼児化しつつある
というのが当たっているような気が・・・。
まぁ、釧路の酒でも飲みながら休むしかないですね。

(出典:http://blog.goo.ne.jp/cforever1/e/cc01a7cf371e641b1ea8f8278700bc84)

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