都督府古址の老人

「正確な史実に基づく冷静な判断」

福岡の話の3日目になりますが、
太宰府跡地で特攻隊帰りの老人にあったといましたが、
この老人現在95ではなく90だったとのこと。
現在昭和で数えると93年ですので、戦後73年、
昭和20年には17歳で敗戦を迎え、飛ばないうちに除隊となったようです。
で、 その老人の言葉ですが、
「若い頃は死ぬのが本当に怖かった、今は何でもないけど」。
私が九州王朝論を知っていると言った後は、
「 天満宮の方には観光バスが来て人がいっぱい降りるんだけど、
ここには誰も来ない」
「本当のことは誰も知らない、ただ金儲けだけ」
何らかの障害で足が不自由らしく電動車椅子に乗っていたのですが、
「早くボケた方が幸せだ、年取って体ばかり不自由なのに頭はハッキリしてて」

(http://gabareki.blog.jp/archives/15566708.html)

特攻を志願して飛ばずして敗戦を迎え、
その後自身が死を賭した皇国史観がデタラメであり、
一切の戦争責任を取らなかった天皇と軍部・官僚に関して、
この人は一体どういう思いを持って生きてきたのでしょうか。
実は、『戦艦武蔵の最後』『私の天皇観』等を書いて、
わだつみ会の事務局長を最後に勤め、
1981年に56歳で亡くなった渡辺清さんという方がいますが、
上記の老人より3歳上だった関係で戦艦武蔵に乗り込んだ人でした。
私が見つけたブログによると、
「 渡辺は天皇のマッカーサー訪問(45年9月27日)に大変な衝撃を受ける。「二人で仲よくカメラに収まったりして、恬として恥ずるところもなさそうだ。(中略)敵の膝下にだらしなく手をついてしまったのだ。それを思うと残念でならぬ。天皇に対する泡だつような怒りをおさえることができない。」その後、渡辺は天皇の戦争責任についての考え、天皇制批判を深化させていく。「一億総懺悔」に関して、「敗戦の懺悔と言うならば、天皇をはじめ戦争を起こした直接の責任者や指導者たちが国民に向かって懺悔するのが本当だろう。(中略)責任を一億みんなのせいにしてしまうのは、あまりにも卑劣だとおれは思う。」(45年10月11日)また、「新憲法草案」の発表に関して、「『神』から『人間』になったと思ったら、こんどは『象徴』になるという。(中略)『人間』が人間の象徴になるというのはおかしい。(中略)それによって天皇を『国民統合』の象徴に仕立てるとなると話が別だ。これは明らかに欺瞞だ。スリカエだ。」(46年3月8日)さらに上京の直前に海軍にいる間に「天皇から受け取った金品」返納する趣旨を書いた手紙と為替を天皇宛に送りつける。その明細が最後の日記に載っているが、俸給・食費代・被服代・下賜品(タバコ)代等総計4282円。(45年4月20日)」
ということです。

(https://twitter.com/ye_bi_su/status/805410278477156352)

私が今古代史を勉強しているのも、
彼ら直接自分の人生をかけてきた人とは世代も何も異なりますが、
総じて言えば立ち位置はこれらの老人達と同じかもしれません。
日本国民はおしなべて真実を知らなければならない
と思いますし、
保守とか革新とか、右翼とか左翼とかを越えて、
正確な史実に基づく冷静な判断が必要なのではないかと思います。
あと強いて言えばこの老人、
現代医科学だけでなく超能力を知っていたなら、
またパースペクティブも開けていたのではと考えました。

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