左翼の弱さ

「現状認識が甘い」

昨日、左翼が一時的な選挙結果にはしゃぎ過ぎており、
創価学会をはじめとするようなカルトの怖さを知らないと指摘しました。
そして、
「 現在の日本、 日本の大衆をベースとするある種の空気が、
非常に危険なものに思える。
80年代90年代と比べれば、国力の衰退は覆うべくもなく、
そうした状況で安倍のナショナリスティックなヒステリーは 、
国民の多くに心地よく響くのではないのか」
とお話ししました。
で、 ついこの間「明治150年記念式典」があったわけですが、
これに対する野党や新聞の論調が、
戦後左翼というものの実態を示しているようです。

共産党は式典を欠席するにあたり、その理由を次のように説明。
「明治150年の前半は侵略と植民地支配の負の歴史です。それと戦後を一緒にして150年をまるごと肯定する立場に、わが党は立たない」
23日に衆院議員会館で行われた「批判集会」でも、
「野党議員や専門家らも『150年の半分は戦争の歴史だ』『戦争の反省がない』などと安倍政権の姿勢を批判した」
東京新聞の社説では、
「明治維新から77年間は『戦争の時代』でしょう。…終戦から今日までの73年間は、まさに『平和の時代』です。それを守ってきたのは日本国憲法です」
という具合だったとのこと。
要するに、
「共通しているのは、「明治150年」を「前半」と「後半」に分け、「前半」は「侵略(戦争)と植民地支配」の「負の歴史」で「肯定」することはできないが、「後半」(「戦後」)は違う、「平和の時代」で「肯定」できる」
ということ。
ここには、戦前の絶対主義的資本主義から、
戦後の 国家独占資本主義へと続く流れを見抜く視点が欠けており、
天皇制についての認識も、
絶対権力を持った天皇にしろ、象徴としての天皇にしろ、
それが支配階級のイデオロギーの再生産を行う立場にあるということが忘れられている。

さらに言うならば、
ポツダム宣言が連合国側で作成された頃から始まった、
戦後の冷戦構造に対する認識もかけていると言わねばならない。
戦後日本の平和など極東の果ての果てで、
冷戦構造の最前線から遠かったために成立しただけで、
アジア各国より日本が戦後民主的だったなどとは嘘ばかり。
戦争であれ平和であれそれらがグローバルな独占資本の多面的な形
であり、
18・19世紀以来の西洋人の侵略から、
インドや中国は独立を勝ち取ってきたが、
日本は明治維新以来の国際金融資本の謀略の下、
未だに目を覚ましていないというのが実情ではないのか。
左翼がなぜ弱いのかは歴史認識の次元が低いためと言えそうです。

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