仁徳天皇陵

「日本の歴史学界の犯罪」

昨日の新聞に、
大阪府内の仁徳天皇陵として知られる、
大山古墳の発掘の件が載っていました。
宮内庁と堺市が共同で発掘しているそうですが、
「堤に成功な石敷き 5世紀の大王の権力を示す」
とか、
「研究者が荘厳さに驚嘆 市民にも公開すべき」
など、悠久の大和朝廷を褒め称える内容一色。
京都橘大学の一瀬和夫という考古学の頓馬な教授などは、
「他を寄せ付けない圧倒的な存在感」
と、 手放しの賞賛ぶり。
春以来半年ほどかけて古代史を勉強した身には、
とても耐えられない内容でした。

大体、「持統紀」に、
近畿の豪族や氏族の墓記を提出させた旨の記載があり、
大和朝廷は元々あったこれらの墓をすべて「記紀」の記述に合わせて捏造した。
それに、白村江以前は近畿に王朝などなかったのだから、
これ等巨大な前方後円墳は、
すべて近畿に先住した物部系大氏系統のもの。
現在観光客が訪れる明日香にしたって、
入鹿の首塚=大津皇子の処刑場
石舞台古墳(馬子の墓)=物部連雄君の墓
鬼の雪隠・俎=壬申の乱の物部吹負の墓をひっくり返したもの
甘橿丘の蘇我氏邸宅跡=物部連雄君の邸宅跡
飛鳥板葺宮(大化の改新の舞台)=天武の飛鳥浄御原宮址
鎌足神社(大織冠誕生地)=大原の大津と大来の生家跡
二上山頂の大津皇子墓=近年発掘された鳥谷口古墳
と藤原不比等が改竄したわけで、
彼らは九州王朝の痕跡をこのような形で臆面もなく隠したのです。

先日、九州王朝論をホームページにアップすると言いましたが、
その表題は「改ざんされた記憶=日本古代史論」 と決定。
「序論
倭は呉の太伯の後
卑弥呼の出自
神武は筑豊に東征した
空白の四世紀の実態
百済から来た倭王
磐井の乱と蘇我氏の興隆
隠された王朝と乙巳の変
二つの倭国と白村江の戦い
壬申の乱と九州王朝の終焉
東北王朝の栄華」
という見出しで書いていこうと思っております。
それがおとといで仁徳陵の件が今日。
兼川晋氏によれば、
「仁徳は古代史上かなり疑問のある存在で 応神・履中・反正と紛らわしい」
とされているのですから、
このむちゃくちゃな状態をきちんと整理すべき学者が出てこない
点に、この国のダメな原因があるわけです。

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