梅原日本学の終焉

「可能性も無いわけではない」

昨日の新聞によると、
哲学者の梅原猛が93歳で亡くなったとのこと。
新聞の評価は「古代史や文学宗教などを横断し、
梅原日本学と呼ばれる独創的な分野を打ち立てた、
戦後日本を代表する哲学者」
ということ。
国際日本文化研究センター設立に尽力し、95年まで初代所長、
その後は97年から6年間日本ペンクラブ会長だったとのこと。
文化勲章も受賞していたということで、
バブル期を満喫した典型的な老学者であったことがわかります。

当時はこの人物どんな位置付けかはっきりしなかったのですが、
今にして思えば、
「隠された十字架法隆寺論」で、
法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたなどは、
大体において聖徳太子自体が日本書紀の創作なので外れ。
次の「水底の歌」では、
柿本人麻呂流罪・水死説を唱えたわけですが、
これはおおよそ当たっていると思われる。
有名な「古今和歌集仮名序」において紀貫之は、
柿本人麻呂と山部赤人を対比したわけですが、
これは一般的な解釈のように甲乙つけがたしと見るのではなく、
人麻呂の九州王朝・倭国の共同幻想に根ざす倭歌=古歌よりも、
赤人の藤原氏以降の奈良朝の圧迫感を自然に仮託する方法の方が重要だ、
と考えなければならないと室伏志畔氏は指摘しています。
つまり、古い共同幻想を歌う人麻呂は、
それゆえに死の国・出雲へ追いやられた。
赤人は困難な時代の閉塞感を自然に仮託してしぶとく歌ったのだ、
ということになります。

ともあれ、
梅原猛が生きた時代は未だ九州王朝が認識されず、
大和朝廷一元史観しかなかった時代で、
これは時代的な制約であったともいえます。
ただ、90年代以降、
各地の民間史学者が協力して切り開いた地平は、もう後戻りはできない。
吉本隆明が望んだ大和朝廷の尻尾をすでに私たちは掴んでいるのだし、
万葉集の様々な歌だって、
平安時代の手弱女風のかな書き下し解釈に従って理解しているわけではない。
そう考えると、
2020年代知の地平が大きく切り開かれる可能性
も皆無ではない。
ただ、この分野も超能力がないと、一生を棒に振る可能性が高いと言えます。

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