安田講堂から50年

「誤魔化しはきかない」

昨日の新聞で、
安田講堂陥落から19日で50年になることを知りました。
あの頃私は大学の2年生、
1年生の10.8で第1次羽田事件が起こり、
京大生の山崎博昭が死亡したことをきっかけに、
「司法試験の勉強などやっていていいのか?
自分は権力と戦わずその犬になろうとしているのではないか?」
という思いが湧いてきて、 学園闘争に加わったわけです。
まだ未熟な19歳でしたが、
今にして思えば基本的には正しかったし、
70年安保が退潮していくに従いマスコミや文化人は、
赤軍派をターゲットにして、
あんな風なことになるから過激派はダメなんだという論調一点張りになった。
しかし、 国家暴力と比較すればそんなものは無視できるほど小さい、
と今は総括できる状態です。

で、新聞の論調としては、
「降り注ぐ石や火炎瓶 元警官恐怖の記憶鮮明に」
という見出しでわかるように、
元警視庁機動隊員の談話を最初に持ってきて、
「一歩間違えばこの世にはいなかった。
毎年1月を迎えると現場の様子が頭に浮かぶが、
学生を高揚させ駆り立てたものは何だったのか」
という風な記事が前面にくる。
そして、学生側からは3人載せているが、
最初の人物は「権力への異議だった」とし、
次の人物は「 間違ったことをしたとは思わないが、あれで世の中が変わったとは思わない」
と話させている。

なんとか真実に近いのは当時助手連合で活躍した最首悟の次の談話だけ。
「権威とされた大学のまやかしや虚偽を剥がす作業だった」
ただその談話も、
社会に与えた影響については0、教授の権威は失墜したが何も変えられなかった、
と結ばせている。
しかしちょっと待ってくれよ、
確かに医学部の白い巨塔は温存されたし、
科学の欺瞞性や研究者の 体制寄りの姿勢などはますますひどくなっているが、
私たちは、この目で偉そうな人間が底の浅い精神構造しかもたない、
ことをきちんと見てきた。
その記憶を消すことは絶対にできないし、
当時も今も日本国家に正面から戦いを挑む精神に変わりはない。
連帯を求めて孤立を恐れず、力尽くさずして挫けることを拒否する
というスローガンに変わりはないのです。

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