ウォーキングにいい季節
「蒼き夏が来る」
四月に眼科医の山口康三氏の本を読んで以来、
食養生はクリアしているとして、
できるだけ運動に精を出しているのですが、
毛管運動とか結構激しい運動に言及しているのは、
この方西式の大御所という所かららしい。
過去の経験で西式もよいのですがやや負担が大きいのではないかと思い、
激しい運動はチベット体操でやることにしました。
で問題はウオーキング。
それまで 20分ぐらいしかやっていなかったのを、
山口氏が言うように 12000歩 = 2時間はちょっと無理なので、
当面 30分を目標に続けています。
ズック靴ではなく草履をはいてやると結構きついのです。
私の現在の住居の周りはすごい田舎で、
木や草花が多く、山も空も青い。
ちょうど昨日などは先週の真夏のような暑さも引き、
梅雨のはしりのような落ち着いた天気でした。
ツツジが終わって名前はわからない色とりどりの花が開き、
小川には小魚がようやく泳ぎ始め、
イギリスの風景画家ターナーが描くような光景が広がっている。
そこに柔らかな光が入り込むと、
緩やかなでも秋とは違った建物の影などができて、
冷たくもなく温かくもない空気を吸い込むと、
身体がとてもしなやかによみがえってくるのが感じられる。
こうした季節に思い出すのが、
ランボーの永井荷風訳の「そぞろ歩き」で、
まさに「吹く風に浴みすべし」という気持ちでした。
蒼き夏の夜や
麦の香に酔い、野草を踏みて
小道を行かば
心は夢み、わが足さわやかに
わがあらわなる額、
吹く風に浴みすべし。
われ語らず、われ思わず
われただ限りなき愛
魂の底に湧き出るを覚ゆべし。
宿なき人のごとく
いや遠くわれは歩まん
恋人と行く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。
これ確か、高校の国語の時間にならった詩ですが、
今でも充分なインパクトを持って心にしみこんでくる。
それと、途中で犬や猫に会うのも楽しい。
また、鳥たちも大小さまざまですが、
木々の枝でまたこんもりとした木立の中で、
様々な歌をうたっている。
さらに昨日は、市の城址公園の中の池で、
睡蓮の葉のかげから牛蛙の鳴き声も聞ことができました。
こうした光景が年々歳々変わることなく続くわけで、
これと比べたら天皇だの総理大臣だのなどというのはチンケなもの。
偉そうにしてても鳥 1羽・虫一匹言うことをきかせられない
のですから、
私たちはやはり真実のみを発見する旅をつづけた方がよい。
真実は自然と同様永遠のものだからです。