次の要因は?

「天意を慮る身」

昨日も一昨日に引き続き張陽氏の、
米国大統領選挙に関する動画を見ていたのですが、
この人どんな人物かと思ったら次のように紹介されていた。

張陽(ちょうよう)氏という、現在、東北大学で、助教(授)をしている中国人が、日本語で、解説し、そして鋭く分析まで、してくれる「トランプ情勢」に感謝する。他の中国人(台湾人、在米中国人、チャイニーズ・アメリカンも)たちは、中国語か英語で報道したものを、しっかりした日本語の字幕を付けてくれている。

また他の記事では、以下のように紹介されている。

張陽さんは、北京大学1年生の時、天安門事件があり何人もの仲間の死体を運んだ。彼が卒業後博士号取るために、東北大学に来て5年後武士道の本を読んだ。中国では人殺しの精神に満ち溢れた本と思わされてたのだ。完全に、受けた教育が出鱈目と考えるきっかけになった。
それから日本に帰化したが、彼の仲間は相変わらず反日のまま。東条英機の遺書に、号泣したという。しかし、今我々が読んでも何も感じない人が大半。日本人の間でも軍国主義者のたわごとと片付けられておしまい。

昨日は赤壁の戦いにおいて諸葛孔明が東風を利用した、
という内容の話しだった。
指導者というものはすべからく自然の摂理をわきまえ、
合理的な科学的な見通しを立てなくてはいけないわけです。
以下を読めば諸葛孔明が摂理をわきまえていたことがわかります。

問題は、当時の季節の10月は常に北西の風が吹く事だった。反対の東南から風が吹かないと、火計を用いても曹操軍の被害が広がらず、却って自分達の水軍に延焼する恐れがあった。周瑜の悩みを聞いた諸葛亮は東南の風を吹かせると言い、祭壇を作り祈祷する。やがて望んだ通りの東南の風が吹き始めた[10]。
機は熟したとばかりに、黄蓋が投降を装って出船し、密かに積んでいた藁に火をつけて曹操軍に突撃する。「連環の計」のため互いの切り離しが間に合わない曹操軍の船は次々と炎上し、地上に配していた陣にも東南の風で火が燃え広がり、曹操軍は散々に打ち破られる。乱戦に乗じて周瑜が自分を殺そうとしている事を察知した諸葛亮は、東南の風が吹いた直後にその風を利用して劉備の下へ逃げ去る。
一方、劉備軍は諸葛亮の指示の下、曹操の退却先に伏兵を置き、舞い込んできた曹操と残った軍に追い討ちをかける。しかし諸葛亮は「今曹操は天命がつきておらず、殺す事は不可能であるし、殺しても今度は呉が強大になって対抗できなくなるだろう」と判断し、曹操に恩がある関羽をわざと伏兵に置き、あえて関羽が曹操に対し恩を返す機会として与え、関羽が曹操を逃がすのを黙認する。
こうして曹操は荊州の大半を手放さざるを得ず、以後荊州は劉備と孫権の係争地になる。

そういうことで私たちはまず一日一日を、
天意を慮りながら諸般の状況を見定める
ことしかないとわたしには思われるわけです。

PROTOサイエンスから、あなたへ

株・先物・ギャンブルで実証された「予知能力」について知り、
治癒・好転に導く「驚異のパワー」を体感してみませんか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA