SDGsなどやめちまえ

「人を主体にしない社会は不可」

SDGs(=持続可能な開発目標)が大流行で、
猫も杓子もアホみたいに騒いでいるが、
昨日の黒川氏が指摘しているようにこんなもの国際金融資本の謀略でしかない。
何が問題かといえばその中で人間の疎外が限りなく進行することであり、
大体今だってコロナ怖いでバカマスクをかけ、
会話を抑制し外出を抑制し 人と人との付き合いをできるだけしない、
などとというのですから、
そんな政策がインチキであることはよく考えればすぐわかることだと思われる。
この事をマルクス主義の観点から批判している若者がいて、https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77156?page=2
CO2地球温暖化論を前提にしている点は抜きにして疎外論を前面に考察すると、
以下のような内容になる。

――いま、気候変動が切迫した問題として捉えられ、SDGs(=持続可能な開発目標)が注目を集めています。日本でも遅まきながら話題になってきました。そこに斎藤幸平さんが、かのカール・マルクスの名句になぞらえて、新刊『人新世の「資本論」』で「SDGsは『大衆のアヘン』である」と書かれた。衝撃でした。
斎藤 ひとつひとつの取り組みは、もちろん環境に配慮したものなのでしょう。しかし、大きな危険性は、別のところにあります。つまり「SDGsの方針をいくつかなぞれば、気候変動などの問題は解決可能だ」と、SDGsを免罪符のように思い込んでしまうことです。SDGsやグリーン・ニューディールは、環境に配慮しながら経済成長できるという空気を醸成しています。
しかし、多くの科学者が指摘し始めたように、そもそも経済成長と二酸化炭素削減は、求められているペースでは両立しえないものなのです。つまり、無限の経済成長を追い求める資本主義に緊急ブレーキをかけない限り、気候変動は止まらない。これが問題の核心部分なのに、SDGsはそこから人々の目をそらさせる。その点を危惧しています。
――ベストセラーになっている『人新世の「資本論」』で斎藤さんは、「資本主義ありき」のやり方では世界は立ち行かなくなると指摘されています。
斎藤 このまま気温上昇が続けば、漁業も農業も壊滅的な打撃を受け、食料難に陥り、海面上昇や干ばつで今の場所に住めなくなる気候難民も億単位で増えてきます。世界秩序も、国内秩序も不安定になるでしょう。
――(中略)――
――しかも「重要そうに見える仕事」に就く人は、しばしば高給取りです。現場で汗水流している人が安月給で、一方のハイクラスビジネスマンがブランド物を身につけながらエアコンのきいた部屋で会議やタイピングをしている。そんなコントラストが現実にある。彼らに比して「下」と見做されがちな現場の「働かされている感」は大きな問題で、それはマルクスのいう「疎外」の表れです。
斎藤 その「疎外」に別表現を与えたのがグレーバーだと思っています。「ブルシット・ジョブ」にリソースの多くが投入されている事態は、疎外の極致です。「この仕事に意味があるのかな……」と本人も思っているような業務、たとえば先ほどのコンサルティングなどもそうですが、プレゼン用の資料をやたらに作り込むとか、無駄な会議をたくさん開くとか、そういった仕事が積み重なっている。そんなことに膨大なコストをかけてどうするのかという話です。
――しかも、そのコストがめぐりめぐって自然を破壊している。

一昨日お話しした「ヒルビリーエレジー」の中で、
主人公が法律家たちとの食事会において、
出身地を蔑まされ無学な家族のことを馬鹿にされて言うセリフに、
「いや僕の母はここにいる誰よりも賢かった」という場面がある。
実際、どうでもいいような食事のマナーが主役となり、
はいて捨てるようなお世辞ばかりの世界と比べれば、
ソローの森の生活の方がはるかに豊かであることを彼は知っており、
その自分が下らぬ都会人の中に入っていくことにすごい抵抗を感じたわけです。
トランプを支持した全米の貧しい白人達の心情もそこにあり、
だからこそ彼らの数が圧倒的に多い米国南部諸州においては、
もうコロナやめよう、 lockdown なし、飲食原則営業、
ということで中央政府に反旗を翻し始めたわけです。
それにトランプが張った伏線が児童性愛人身売買だったわけで、
これを言われると国際金融資本の側に立つ人間達は全て総崩れとなっていく。
YES/NOで見るべきはSDGsが各国で順調に展開していくか否か
という点であり、
結果は2対1であまりうまくはいかないだろうということ。

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