左翼の皮相さ

「安倍は九州王朝論を弁えている」

緊急事態宣言が出る前に、
左翼の論者がみなコロナ怖い →緊急事態宣言待望、
となっていることに関して次のようにのべました。

緊急事態宣言に関しては「左翼と右翼が逆転」している、とお話ししましたが事態はまさに最悪の方向に向かっているようです。ですからそこで取り上げた、白井聡とか上昌広とかの言動は一見すると正しいようですが、現在の状況下では全体主義待望論とみなさざるをえない。

それでその上昌広ですが、
いまだに羽鳥モーニングショーのスタンスを持ち上げて、
玉川を擁護している状態で全く進歩がない。

これは白井聡にも言えることで、
自称左翼のネトウヨ批判を一生懸命持ち上げている。
要するに彼らは、
ネトウヨなんてものは病的に頭が悪いだけ、
と言っているのですが、
そりゃたしかに白井聡は早稲田の政経を卒業し、
一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了というのですから、
偏差値72以上の頭脳の持ち主。
そして上記の上昌広も、
灘中学校・高等学校を経て東京大学医学部医学科卒業というのですから、
こちらも偏差値 74ぐらいの頭脳の持ち主。
ではなぜ彼らが新型コロナに対する対応を間違えるのか、
これはただ単に意見の相違というものではないはず。

実はその答えが九州王朝論の室伏志畔氏の中にある。
直接には白井聡を批判したものですが、
間接的には戦後民主主義の左翼陣営全体を批判したもの。

加藤典洋(1948~)が、今次大戦における日本人、200万人の犠牲者を通して,アジア民衆、2000万人の犠牲者を弔う道はないかと、日本とアジア諸国の認識のギャップを埋めんと『敗戦後論』を上梓したのは1997年のことであった。そこでは同時代のドイツの敗戦への目配りはあっても、自国の663年の白村江の倭国の敗戦について、まったく認識されていないことに私は驚いた。
それから16年した2013年に、白井聡(1997~)は『永続敗戦論』を書き、日本国の敗戦を終戦と偽る国家思想が、現在に至る永続敗戦の情況を創り出しているとした。そこでは安倍内閣の隠れもないアメリカへの追従に平行し、中韓を初めとするアジア諸国への声高な発言がアジアの波風を高め、戦争法案の追い風としたことは紛れも事実である。そこにある矛盾を日本政府は自覚できないため、安倍晋三はなかなかアメリカ大統領に会ってもらえなかった。白井聡の発言はこの日米政府間のギャップについて指摘するも、相変わらず、列島がかつて唐に占領された苦い過去をもち、都督府古址の碑が大宰府に今もそそり立っていることに、まったく気づかない迂闊な歴史認識が継続されている。
私があえてブログで古代敗戦後論をする理由はここにある。
唐に占領され解体を見た倭国をまったく見失った歴史眼のゆえに、遠い昔から唯一無二の天皇制があったとする記紀史観がこの国を睥睨した。それを前提に加藤典洋や白井聡が二十世紀の敗戦後論をするのは、私には天皇制を受け入れたうえで、戦後政治の二極分化や永続敗戦的性格を追究しているようにしか思えない。
古代天皇制の淵源は7世紀の白村江の倭国敗戦に先立つとはいえ、日本国の天皇制の確立過程は663年の白村江の敗戦から701年の大宝建元に至る古代敗戦過程の内に、幾変転した政治過程から突出した。それをさしたる事もなかったごとく記述した『日本書紀』の手品を解読できないところに、天皇制はそそり立ってきたのだ。

そしてもう 1点は、
彼らの輝かしい学歴から見れば、
成蹊大学をやっと卒業した安倍などはバカに見え、
頭が悪いとか、
leaderではなくプロンプターのreaderだなどというのですが、
彼らは安倍が自らの出自をきちんと理解し、
現在の近畿王朝よりも自分たちの祖先の方が、
正当性を誇るのであるから日本を支配して当然だ、
と考えている点を把握していない。
室伏氏の次の文がその辺の事情をよく語っている。

安倍晋三が岸や佐藤とちがい、今ひとつの朝敵・蝦夷の棟梁・安倍・安東氏の血脈にあるとい新たな問題が浮上する。朝敵とは皇統に先在した王統がその正統性を主張するがゆえに朝敵とされたのである。蝦夷は神武皇統の先在したニギハヤヒ旧皇統の正統性を主張し、熊襲は皇統に先在した金印国家・委奴イヌ国以来の南船系倭王統を主張する。それらは八世紀以来、皇統一元を国是とする日本国にとって蛇蝎のごとく排された理由である。その安倍・安東氏の由来を書き留めた『東日流外三郡誌』が偽書とされ、排除される理由もここにある。しかし、安倍晋三にとっては安倍・安東氏は自身の出自母体であり、『東日流外三郡誌』は一族史以外ではない。
安倍晋三の父・安倍晋太郎は岸信介の養子に入り、その長女を妻としたが、安倍家のルーツが気になり、調べさせたところ、前九年の役(1051年)で源頼義・義家に破れ、太宰府に配流された安倍宗任の末裔に行き着く。それを祀る青森県五所川原の石搭山荒覇吐アラハバキ神社を知り、晋太郎は昭和六二年(1987年)に妻と晋三夫妻を伴って同神社に参拝する。五所川原は云うまでもない『東日流外三郡誌』の所蔵者・和田喜八郎の在所で、アラハバキ神社に深く関わる。この縁で和田喜八郎の葬式に晋三の母は出向いたと思われる。これを踏まえると晋太郎と晋三夫妻は九〇年を前に『東日流外三郡誌』の概要を知ったと思われる。このとき、安倍晋三は安倍家が正統皇統の流れにあるが故に、朝敵とされた歴史を知ったが、その安倍家の倫理が「吾が一族の血肉は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」であったことまでは理解することはついになかった。
明治の薩長政権の強大化の理由は、岸・佐藤家の本貫の山口県光市の田布施にあった南朝の生き残りの大室寅之介を、北朝の天皇とすげ替えた皇統の秘密に由来する。その秘密に安倍晋三の「政府の最高責任者は私だ」とする自負を接続するなら、一つは現皇室を長州の我々が作ってやったものだとする自負に加え、旧皇統の筆頭の安倍家の流れである我こそ正統皇統である以上、「国家の最高責任者は俺だ」とする自負が見え隠れする。

安倍は実は左翼よりも歴史を勉強していた
ということになり、
問題はやはり天皇制に行きつくではないかと考えられます。

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