量子論者の仮説
現代の脳科学においては、「意識」や「心」の成立は未だ解明されていないと言ってもよく、さまざまな仮説がいろいろな人々によって立てられています。
最初にご紹介するのは、アメリカの著名な物理学者デビット・ボームの「量子ポテンシャル」理論です。量子力学は解釈の仕方によりいくつかの系統に分かれますが、その中の正統派とされるコペンハーゲン学派によれば、素粒子は人間の意識で「観察」されることによって初めて「粒子」として観測されるもので、観測以前には「波動関数」で表わされる確率の世界の波としてしか記述できないとされます。ボームのポテンシャル理論は、このように不確実な存在とされる素粒子について、それが「常にどこかに存在しているとは考えないほうがいいだろう」と説き、それは「あるゆらぎの確率にしたがって『暗在系』から『明在系』に出てきて、また『暗在系』に戻る。それを常に繰り返している」というものです。
次にご紹介するのは、神経生理学者カール・プリグラムの「ホログラフィ記憶モデル」のお話です。ここでいうホログラフィとは、立体像を作るための方法論・技術のことです。すなわちレーザー光を物体に当て、その反射光ともとのレーザー光の干渉縞をフィルムに記録すると一見無秩序な図面に見えますが、再びレーザー光をそれに当てると物体の立体像が再生されるというものです。
ホログラフィでは、このフィルムを2分の1に切っても、100分の1、1000分の1になっても立体像は必ず再生され、部分が全体であり、全体が部分となっているとも申し上げられます。このような現象を脳における記憶の成立に当てはめて、ある記憶は個々のシナプス領域でのみ成立しているのではなく、脳全体に分散して蓄積されているというのがプリグラムの主張です。
最後にお話するのは、イギリスの数理物理学者ロジャー・ペンロースの意識モデルについてです。彼の主張は「ひとつのポイントに要約することができます。それは『脳にはコンピュータにできないことができる』ということです。そして『コンピュータには計算可能なことしかできないが、脳には計算不可能なことができる』」ということです。その背景にはゲーデルの「不完全定理」—十分に強力な形式的大系は、矛盾がないという証明ができない—があったわけですが、ペンローズはここで「量子重力理論」を提出します。それは「量子力学」の不完全さは重力理論と統合されることによって完成し、その過程では計算不可能なことが出て来るが、脳は何らかの仕組みで量子重力の過程を利用しているので、コンピュータができる以上のことを行うというものです。そして量子重力の過程は、脳内においてはマイクロチューブルというタンパク質によっ担われているとされます。
以上、3人の先端的な科学者の仮説をご紹介しましたが、いずれもこれから検証されて行かねばならない性質のものです。けれども、これらの科学者たちの仮説はどれをとっても現代科学の考え方とは異なり、意識や心についての新たな視点を提供するものではないでしょうか。
※天外伺朗・茂木健一郎「意識は科学で解き明かせるか」
(講談社ブルーバックス)より