超克できなかった近代

明治から敗戦に至る日本人の世界観をふり返ると、一つの大きな特徴が見えてくるような気がします。前章で述べた日英同盟への経緯とは、文明開化以降の富国強兵路線が完成し一等国の仲間入りをするまでの過程と申し上げられます。その後第一次大戦を経て東洋唯一の強国となった大正後期・昭和前期頃から唱えられたのが「近代の超克」であり「世界史の哲学」であったわけですが、そこには色濃い大アジア主義と日本中心主義が貫かれているような気がします。
「文学界」の席上で亀井勝一郎は、
「満州事変以来すでに数年たっているにも関らず、『中国』に対しては殆んど無知無関心ですごしてきた。-(中略)-『中国』だけではない、アジア全体に対する連帯感情といったものは私にはまるでなかった」
と発言していますが、ここに冒頭で述べた大きな特徴が集約されていると思われます。つまり日本人の眼は欧米のみにしか向いておらず、野蛮であった時代は欧米の文明が目標となり、一定程度の欧米化が達成された後は欧米を超克しようとして日本に回帰する。価値観が欧米中心であるといってもよいでしょうが、立場の左右を問わず欧米以外のアジア・イスラーム等の国々には関心がないと申し上げてもよいでしょう。現在まで続くさまざまな問題の根源は、この欧米一辺倒の立場にあるのだと考えた方がよさそうです。
武者小路公秀は現代日本の置かれた課題について、
「日本人のアイデンティティを、世界の他の諸民族、諸エスニック集団のアイデンティティを排除する明治以来の日本中心主義の形でしか自覚できないか、あるいは、むしろ非西欧、アジア地域、その中の日本に住む非日本人との共生のなかで確立できるか」
ということが解決の鍵になると述べています。また、政治や世論形成については、「日本の敗戦の結果、日本外交は」、再び欧米への順応を目ざす方向へ動いて、「日米体制を基軸とする」が、「今日の日本外交は、この対米追随外交のもっとも極端な形」となっている。そしてその対極には旧態依然とした日本回帰論があり、「日本の軍事力、対外介入能力の蓄積をはかる」勢力がいるのだと述べています。まさに敗戦後60数年を経てもまだこうした論理が有効であるほど、私たちは変わらなかったのだと考えた方がよさそうです。
ところで、敗戦の形はいつ・どこで・誰が・どのようにして決めたのでしょうか。国内での終戦工作に関する記述は少なく、年表を繰ってもあまり詳しくは載っていません。昭和19年(1944年)まで続いた東条内閣が7月に小磯内閣に変わりますが、これが昭和20年(1945年)4月に鈴木貫太郎内閣に引き継がれ、8・15までを担当する形となっています。この3内閣はいずれも軍人を首班とするものでしたが、その理由は前章で既に述べたとおり軍国主義体制に当時の日本が置かれていたからです。年表には”大本営政府連絡会議”(後に最高戦争指導会議と改称)や”御前会議”を主語とする記述がほとんどで、その内容も昭和20年(1945年)5月に「対ソ交渉方針決定(終戦工作始まる)」という記述があるものの、同6月には天皇臨席の会議でもなおかつ、「本土決戦方針を選択」などとみえます。当時日本軍は壊滅状態で制海権・制空権を完全に失い、アメリカ軍の自由な空爆を可能にしていたわけですから、その状況下における「一億玉砕」というスローガンは狂気のような判断といってもよいでしょう。そして、7月末に連合国側から「ポツダム宣言」が提示されるに及んでも、鈴木内閣はこれを「黙殺」しているのですが、原爆投下とソ連の対日宣戦布告後の8月14日、ようやく”御前会議”でその受諾を決定したとされています。
日本の終戦工作についてはさまざまな論議がなされていますが、ここではあえてふれず、結局天皇の「玉音放送」でのみこの戦争が終結できたのだと申し上げるに留めておきます。この問題はむしろ、米英ソを中心とするパワーポリティクスの世界で考察した方が分かりやすいと思われますし、また、私たちが一見平和だと誤解している戦後の時代の大枠が超大国の利害関係の中で形造られていったことが明瞭になるからでもあります。そしてこれら国々の首脳の駆け引きは、昭和16年(1941年)8月の大西洋憲章・同18年(1943年)11月のカイロ宣言とテヘラン会談、同20年(1945年)年2月のヤルタ会談、同年7月のポツダム宣言などからその様子がみてとれます。カイロ会談でルーズベルト・チャーチル・蒋介石は初めて”無条件降伏”という文言を登場させますが、三国の対アジア戦略は調整されず、直後のテヘラン会談(蒋介石が抜け、スターリンが参加)や次のヤルタ会談で、ソ連の対日参戦と戦後の領土の枠組が決まったと考えられます。
さて、ヤルタ会談までのアメリカ大統領はルーズベルトだったのですが、最後のポツダム会議においてはトルーマンに変わり、このことが日本の降伏に微妙だが重大な影響を現していきます。つまり、従来「日本国の無条件降伏」とされていた文言が、「日本軍の無条件降伏」に変わっていた点です。満州と内蒙古までもスターリンに割譲したルーズベルトに対し、トルーマンの眼には既に第二次大戦後の冷戦が映っていたのだと思われます。日本の降伏が「無条件」であったか「有条件」であったかについては次節で考えるとして、ポツダム宣言受諾の背景には、結局パワーポリティクスの論理があったのだと申し上げられるでしょう。

【参考文献】

「近代日本総合年表」第一版(岩波書店)
武者小路・姜・川勝・榊原「新しい『日本のかたち』」(藤原書店)
オープンコンテントの百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
保坂正康「昭和史七つの謎」(講談社文庫)
歴史ぱびりよん 概説・太平洋戦争 終戦工作その1
マスコミが隠してきた日本の真実を暴露するまとめサイト GHQの占領政策と影響
吉本隆明「現在はどこにあるか」(新潮社)
関東学院大学 自然人間社会
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