悪質な皇室行事(2)

「共同幻想を打破せよ」

昨日の橿原市の神武天皇陵に続いて、今日は伊勢神宮ですが、
これの起源がどうもはっきりしない。
ただ明らかなことは、皇室がここに参拝するようになったのは、
7世紀の持統を最後として以来 1000年以上にわたってなかったのが、
明治になって再開されて以後かなり頻繁に行われていること。
またこの神宮のご神体というのは八咫鏡であり、
これは一般的な解釈なら神武東征と関連するものかもしれないが、
研究者によれば平原遺跡(邪馬台国に関連)の鏡の一つではないかとも言われる。
さらに、いわゆる伊勢の二見ケ浦の原型とされるものは、
九州の伊勢の二見ケ浦であり、九州王朝に由来する。

実は、私の古代史論でも書いているのですが、
81年に琵琶湖東岸で弥生環濠集落伊勢遺跡の発見があり、
近くの大岩山で1881年に大型銅鐸14ヶ、
1962年に中型10ヶが既に発見されているところから、
これは神魂命系の銅鐸祭祀地であり、
さらに日神信仰への新たな展開を見せるが、国譲り後3Cに突如途絶える。
3世紀前半には銅鐸祭祀から銅境祭祀への転換があり、
この背景には追われた出雲系・九州系に、
同じく追われた卑弥呼系祭祀集団が合流し、
三輪山の太陽(春日)信仰へとつながっていった(三角縁神獣鏡がレガリア)。
近畿における権力闘争の痕跡は、
この後貴国を追われた武内宿禰が4世紀に竹内街道周辺に来たほか、
7世紀の白村江の頃に激動して来る。
壬申の乱とは九州王朝の再興を期する天武と、
白村江を前にして唐新羅と通じた斉明・天智等の近江朝との戦いであり、
天武は春日信仰で一体となった追われて近畿に土着した勢力の支援を得て勝利。
室伏志畔氏によると、
天武には伊勢遺跡復興の意図があり東の地に皇太神宮を作り、
ここを九州の伊勢の二見ケ浦にちなんで伊勢の神宮としたのではないかとのこと。
持統が伊勢神宮を参拝したのが 692年とすれば、
それは大津の皇子の変の後であり、
このクーデターによって殺害した天武の一族や、
同じく正妻大田皇女とその子、また藤屋敷の紫の上などの怨霊のせいか。
中臣鎌足の出自をみてみないと何とも言えませんが、
もしこれが唐に由来するなら、
通説で誤って大化の改新とよばれている乙巳の変というのは、
唐による倭国―東北王朝連合を解体する周到な戦略であったのではないか。

で、明治維新以来皇室が全く縁のない伊勢神宮の参拝に熱心になったのは、
明治天皇 =大室寅之助が南朝系だったことと関係する。
北朝系の孝明天皇と睦仁親王を殺害した長州藩は、
さすがに北朝の宇佐神宮に参拝するわけにもいかず、伊勢神宮を選んだのか。
現在の皇室がそれを踏襲しているのは知ってか知らずか、
古代史をきっちりやっている身にとっては、
あまりにも無節操・ご都合主義的に思われる。
もちろん、与野党の政治家なども同様の連中ではないか。
「以上のように、天皇の「退位」「即位」に関して、明々白々な憲法違反行為が政府、メディア一体となって公然と行われるのです。きわめて異常な事態であり、絶対に容認することはできません。」
という左翼からの批判は、こと天皇に関しては弱いのではないか。
7割8割以上の国民が皇室に親近感を覚えているという異常事態に対して、
日米安保・日米地位協定のはるか下にある憲法などを持って来ても蛙の面に小便。
それよりも何よりも、
近畿大和に悠久の昔から万世一系の天皇がいた
などという詐術を見破らなければならない。
大体、奈良県橿原市の神武天皇陵とされるものは、
三輪山に向かう春日信仰の正三角形の底辺の一端をなす、
近畿の開拓者たる豪族の墓を掘り返して改竄したもののようですから。

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