日本中世・近世・近代史への射程(1)

「属国民の奴隷根性はどこに淵源が」

コロナ前の2019年の末に、
日本の第二種兼業農家のだらしなさについて以下のように書きました。

現在の農家というのは、ごく一部の専業の生産農家を除いて、みな補助金漬けのどうにもならないなまけ者ばかり。政府の農業政策も悪いといえば言えるのですが、補助金に慣れてしまうと生産の付加価値などということは考えず、農薬などは使い放題で、最近はホームセンターで農薬散布用のドローンまで売っている始末。例のモンサントの除草剤 =ラウンドアップなど、ホームセンターで飛ぶように売れている。子弟は農業などやる気がなく勤めに行き、親たちは孫の面倒を見たりして暮らしている。で、朝は遅いし夜も遅くまで起きてるし、都会人の方がずっとメリハリのある生活をしている。
――(中略)――
古代の総体的奴隷制から中世の家父長的奴隷制、江戸時代の封建的農奴制と明治以降の地主制の問題。とにかく日本国民の大半を占めた百姓というものの精神構造が、天皇制と隣り合って共存してきたこと。そして身分制度というものは、百姓の下に穢多非人などを配して、被支配階級の中で何重もの差別構造を形成することで支配を強める。
何ともやりきれない時代なのですが、最も被害を受けたのは弱い女子供であり、彼らはイエズス会などによって奴隷として世界中に売り飛ばされ、
その風習は明治以降天皇制によって女奴隷=からゆきさんの売買として復活。これが皇室の基本的な財産形成の基礎をなし、これに大東亜戦争中にアジア各地から略奪した金銀財宝を合わせ、現在の金額で1千兆円とも2千兆円ともいわれる皇室の隠し財産となっていく。そして明治政府は日本人の下にアイヌや琉球人を置き、さらにその下に植民地化した朝鮮人を置いて支配体制を強めていく。

社会・経済史特にマルクス主義発展段階論においては、
古代=奴隷制、中世=封建的農奴制、近代=資本制的土地所有下の賃労働、
というふうに規定するのがモデルなのですが、
日本においては中世末=戦国時代まで奴隷制が続き、
秀吉の太閤検地と石高制導入により初めて封建的農奴制が成立した、
という点が1952年に安良城盛昭氏が巻き起こした安良城旋風なのです。
この説を補強するのが磯貝富士夫氏の日本中世奴隷制論なのですが、
この背景には中世の寒冷化による農業生産力の低下が挙げられ、
戦国末期にようやく気温が上昇し始め、
これが信長・秀吉・家康政権の成立につながったわけです。

この三代のわずか50年間の間に歴史や経済が激動するのですが、
ここにさらなる要素としてポルトガル人の来航があったわけですが、
それがもたらしたものは鉄砲の伝来による、
戦国大名の戦術の根本的変化だけではなく、
日本人奴隷の海外への売り渡しが大量に発生したという事。
世界史的に見れば大航海時代というのはポルトガルやスペインによる、
略奪と奴隷貿易の時代ということなのですが、
これにはローマカトリックの尖兵としてのイエズス会が果した役目が大きかった。
信長・秀吉・家康政権は統一国家としての体面上、
やがて伴天連禁止令(秀吉1587年)を発布していくわけですが、
これも戦国まで続いた奴隷制を解体する要因として重要だ、
ということを磯貝氏が実証しているわけです。
実はこうしたことが本能寺の変の背景にあるのですが、
わが国の学校教育では NHK大河ドラマのような皇国史観しか教えられず、
ほとんどの国民は信長が伴天連にキャノン法で爆殺されたことも、
その前に信長の間諜だった世良田元信が岡崎城の松平元康を殺して、
のちに徳川家康と名乗ったことも全く知らないままなのです。
関ケ原にしても三成がどうとか小早川がああしたとかいうレベルに留まり、
東軍には世界最強の艦隊からひそかに移されたキャノン砲があり、
この一発で西軍が総崩れになったのだという、
軍事技術の根本的な違いが見えていないままなのです。

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