安良城盛昭氏の日本中世社会論

戦前の「日本資本主義発達史講座」を引き継ぐ形で進められた日本中世の歴史的位置付けについての研究は、奴隷制的で否定すべき東洋的専制支配の古代に対し、それを克服する進歩の表れとしての事象を発見するという問題意識を共通に持っていたと考えられます。「世界史の発展法則」とか「東洋社会のうちでともかくも四つの発展段階を古典的な形で経過したのはわが民族のほかにはない」とするような、現在の目から見ればあまりにも楽観的な進歩史観がベースにあったのだということです。そのため、松本新八郎氏の「名田経営論」にしろ、石母田正氏の「中世的世界の形成論」にしろ、西欧的農奴制を前提とした先入観を持って鎌倉・室町期を対象としたのですが、結果的にはそれを発見できずor躊躇せざるを得なかったため、大いに苦悩したと磯貝氏は述べております。

こうした状況で安良城盛昭氏の日本中世社会論が発表されたのですが、この中で氏は「直接生産者が土地保有者であり、共同体が真の土地所有者である」というアジア的共同体からその構造を維持したまま、「剰余労働が発生し」階級社会となった「総体的奴隷制」が古代日本の場合に当てはまる。総体的奴隷制からは直ちに農奴制が展開せず、一旦家父長的奴隷制を経た上で農奴制となるような、西欧的コースとは違う発展のコースを取った」と主張したわけです。
つまり安良城説は、中世社会を通じて奴隷制が基本的に存続し続けたという事実、それが体制的に克服されていくのは近世社会成立過程であるという事実を認識の基本に据えて中世段階を位置付け直したものであり、まさに事実の方に依拠して従来の封建制成立期に関する時代区分論上の枠組み認識を改めた。つまり、鎌倉幕府から封建制が始まるとする従来の歴史常識を覆し、社会構成体論から対案を提出したといえるわけです。
具体的には、戦国家法より戦国大名権力の基礎に奴隷制が存在することを導き出し、統一権力による小農民自立乃至奴隷制否定政策=人身売買禁止・分家促進・奉公人年期規制・恣意的成敗禁止・恣意的賦役禁止・作合い否定などの諸政策と、中世百姓=土地緊縛規定欠如・近世百姓=土地緊縛規定等を対比させて、奴隷の農奴への進化過程を解明したものと言える。

氏の強みは、戦国期における奴隷制的要素の存在と近世社会成立過程において統一権力による奴隷制禁止政策が存在しているという実証的事実に立脚している点である。しかしそれ以前についてとなると独自のものが弱くなり、平安末・鎌倉期段階については独自の実証的検討がなされないままになっていると磯貝氏は指摘。
中・近世移行過程は奴隷の農奴への進化過程を基軸にしては説明できないと氏は考えており、名子・被官制度についても、奴隷の農奴への進化過程に一義的に位置づけるのは問題であり、むしろ自由民が奴隷転落することが一般化した時代の中間的隷属形態として、中世を通して存在する在り方として把握すべきではないかとされております。すなわち、領主による在地支配の中で、飢饉や公事・年貢未済による債務緊縛が行われており、その結果債務者の一部を純粋な奴隷として、また一部は今までの生活形態を維持したまま労働力提供を強制させている。在地有力者と多くの貧しい民衆との間に債務緊縛が存続し、彼らを奴隷供給源とする関係が成立。鎌倉後期においては、一人の領主のみでなく複数の領主との間にこれが成立しており、一地域が一領主によって排他的に支配されるには及んでいなかったが、室町戦国期にはむしろその方向が強まるとの事です。

「安良城氏の関心はもっと新しい時代に対するもので、まず当時進行していた農地改革、その前提たる近代地主制、そしてその前提たる近世の土地制度・地主制、その前提である太閤検地の解明、そしてその前提となっている中世社会を解明していくというように中世の社会構成を解明してきた」
と磯貝氏は述べておりますが、このほかに時代的な制約もあったのではないかと考えられます。

【参考文献】

・安良城盛昭「天皇・天皇制・百姓・沖縄」(吉川弘文館)
・安良城盛昭「「天皇制と地主制〈上下〉」(塙書房)
・磯貝 富士男「「日本中世奴隷制論」 (校倉書房)
・ルシオ・デ・ソウザ、 岡 美穂子 「大航海時代の日本人奴隷」(中央公論新社)

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