抜け落ちた視点(2)日葡史の欠落

地球の気温は 16世紀になると急速に上昇し、織豊政権の時期には温暖化のピークとなっている。従来この時期について想定されてきた生産力発展はこの事情を背景として考えなければならず、このことがこの時期、百姓の奴隷転落条件が緩和傾向になったと言えると磯貝氏は指摘、これが信長・秀吉・家康政権の成立につながったわけです。この三代のわずか50年間に歴史や経済が激動するのですが、ここにさらなる要素としてポルトガル人の来航があったわけで、それがもたらしたものは鉄砲の伝来による戦国大名の戦術の根本的変化だけではなく、日本人奴隷の海外への売り渡しが大量に発生したという事実があります。
世界史的に見れば大航海時代というのはポルトガルやスペインによる略奪と奴隷貿易の時代なのですが、これにはローマカトリックの尖兵としてのイエズス会が果した役目が大きかった。信長・秀吉・家康政権は統一国家としての体面上、やがて伴天連禁止令(秀吉1587年)を発布していくわけですが、これも戦国まで続いた奴隷制を解体する要因として重要だったことを磯貝氏が実証しているわけです。ところが安良城氏は、戦前の日本・ポルトガル交渉史の研究成果としても示されていたこうした事実についての考慮を全くしておらず、これは氏が発展段階論を基軸にすることにこだわり過ぎていたためであり、この時期の世界資本主義下の奴隷制展開を考えるべきであったと磯貝氏は指摘しております。

以下ではルシオ・デ・ソウザ、 岡 美穂子 「大航海時代の日本人奴隷」からの抜粋を貼り付けていきますが、この本は当時のスペイン・ポルトガルによる奴隷貿易の扱いを主眼としており、決して日本中世が制度的に奴隷制であったことを主張しているわけではない点を弁えることが必要です。しかし戦前の日葡史が戦後顧みられず、資料等も充実していない現状では、デッサンとしては優れているため抜粋してまいります。

筆者は、数年前、大規模な国際学会で、ポルトガル人による日本人の人身売買について言及したが、大航海時代のアジア海域史を専門とする世界的に著名な研究者から、「そんな話しは聞いたことがない。捏造ではないか」という発言を受けた。このような無知はこの問題を同時代史料に基づいて、実証的かつ体系的に論じた本格的な研究が欠如してきたことに由来する。本書は、わずかながらでもその欠を補うべく、平易な表現で、ポルトガル人が行った日本人の奴隷取引きの実態と、その国際的なネットワークを、実証的に明らかにすることを命題としている。

 

1587年、秀吉の伴天連追放令公布後、日本のキリスト教界は苦境にあったが、実際には長崎には多くのイエズス会宣教師が滞在していた。

 

「南蛮貿易」は、中国の沿岸島嶼部(1557年以降はマカオ)をハブ拠点として、交易に従事するポルトガル人たちが、インドや東南アジアの諸地域で取引きされる商品や、中国産の生糸・絹織物・薬種などを日本へと運んだものとして知られる。南蛮貿易における主要な取引品は、戦国時代はシャムの港アユタヤに集積する鉛などの鉱物、中国産の硝石など、軍事に関するものであった。それらの入手のために、当時開発著しかった石見の大森銀山などで産出される銀が費やされ、また戦国時代の「乱取り」と呼ばれる、戦時の捕虜の習慣などを要因として、多くの日本人が「奴隷」として国外へ運ばれたのである。

 

この条項がキリシタン問題と同じ扱いで言及されるということは、すなわち秀吉が、日本人が海外へ売却されている現実を、イエズス会の問題でもあると認識していたことを示すものに他ならない。
これまでこの条項は、イエズス会とは無関係であるとか、宣教師がポルトガル商人の奴隷売買を黙認していることを問題視したものであると言われてきた。しかし先述のとおり、イエズス会は奴隷売買のプロセスにおいて、紛れもなく一機能を担っており、それを秀吉は見逃していなかったのである。

 

キリスト教の教えを広めようとするイエズス会が差配する長崎で人身売買を行うには、売る側も買う側も、その正当性を確保する必要があった。そのために用いられたのが「正戦」の概念である。イエズス会士たちがこの概念を、長崎で人身売買が行われることに対する合法性の確保に用いたことは、文献の端々に見受けられる。それらに拠れば、イエズス会士たちは、
キリシタンに改宗した大名や武将の戦争で捕らえられた人々を「合法的な奴隷」とみなすことにしていたことが分かる。
しかし実際には、長崎に連れて来られて、そこで売買される人たちは必ずしも「合法的な奴隷」である必要はなかった。実際にはそのような証拠は必要とはされなかった。

 

しばしば誤解されることであるが、『天正遣欧使節記』は、少年たちのヨーロッパへ旅を基にした知識・思想の形成を主題にしているが、人文学者 サンデが創作したフィクションである。マカオでサンデはヨーロッパから帰国の途にあった少年たちと共に生活をしているから、少年たちが実際に語った言葉も含まれている可能性はあるが、基本的には少年たちの対話内容には、サンデ自身の思想が反映されていると考えるべきであろう。
このようなイエズス会内部からの批判もあって、長崎で取引きされる日本人の奴隷の数は減少していったが、さらにその大きな転機となったのは、商品としての他国籍の「ヒト」の圧倒的な増加、すなわち、秀吉の朝鮮出兵を契機とした、長崎の市場に生じた劇的な変化である。
(※著者注『天正遣欧使節記』からの磯貝氏の引用なども批判の対象になるかもしれません。)

【参考文献】

・安良城盛昭「天皇・天皇制・百姓・沖縄」(吉川弘文館)
・安良城盛昭「「天皇制と地主制〈上下〉」(塙書房)
・磯貝 富士男「「日本中世奴隷制論」 (校倉書房)
・ルシオ・デ・ソウザ、 岡 美穂子 「大航海時代の日本人奴隷」(中央公論新社)

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