古代史の問題点

「錯綜する説だが」

今週は日曜日の東京セミナーに向けた準備の一環として、
暫定的な古代史年表を作成すべく、
今まで勉強してきたところを見直しています。
倭国大乱~卑弥呼の登場とその死ぐらいまでは割と単純で、
原倭国の成立とその博多湾岸への移動の時期、
また、出雲八雲王朝と出雲王朝の成立年代、
さらに国譲りの時期などがわかれば良いので比較的楽。

その後の神武東征(筑豊への)と、
ヤマトタケルが複数人が投影された偶像なのかどうかも比較的単純。
しかし、磐井の乱以降になってくると、
九州古代史の会の中でも諸説があり、
代表的な兼川晋、大芝英雄、室伏志畔の3氏を比較しても、
それぞれ大きく異なっているのです。
上に述べた磐井の乱、朝倉宮の変、壬申の乱それぞれに、
主張をYES/NOで見て行かねばなりません。

まあ、この辺りが日本古代史の勘所と言えますので、
後は9月のセミナーまでになんとかすれば良いかと思われます。
いずれにしろ、
大和朝廷が悠久の昔から近畿にあったという説は完全に粉砕されるわけで、
秋以降は南北朝・織豊政権・明治維新まで進めるものと思っています。
洗脳が国民を総敗北状況に追い込んでいる
とすれば、
それをひとつひとつ解いていくことがどうしても必要です。

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