滝行で会津へ
「ジェット音・祈願・ほら貝」
一昨日の夕方会津に行って一泊し、
昨日は朝からいつもの滝沢不動滝にて滝行を行いました。
前日の雨が結構降っていたので心配したのですが、
昨日の朝はかなり小ぶりになり最低気温は 16.5度C、
とちょっと低いものの体感温度はさほど寒くはなく予定通り決行。
今回は滝へ続く道に入った途端空から特有のジェット機のような音がし、
滝へ降りたところではすでに球体が待っていてくれた。
この滝以前もお話ししたのですが、
戊辰戦争で有名な滝沢峠の登り口にあたり、
戸の口ヶ原の合戦に敗れた白虎隊が敗走してきた所。
自刃の地飯盛山までわずか2kmくらいでしょうか。
彼らの無念の思いがわかる会津人にとって、
複雑な感情が湧きあがる場所なのです。
水は思ったよりもかなり冷たく、
白虎隊士が自刃した旧暦の8月23日 =新暦の 10月8日に近い昨日は、
天気が良ければまだしも小雨が煙る天気だとかなり厳しい。
しかし、今回は自分の修行のためということもありますが、
それよりも会員からの「願望成就のための祈願」ということで、
5件分の滝行を請け負ってきたという経緯があったのです。
そのため「○○様祈願」という鉢巻まで用意してきた関係上、
怯んでいるわけにはいかないという訳です。
塩と酒を撒くといつものように球体がたくさん出てきます。
ここ 2・3日の雨のため水量がやや増しており、
滝つぼはかなり深く激しくたぎっている。
台風のせいでしょうか倒木などもあちこちにあり 、
それらを片づけてから本格的に入りました。
それでとにかく通常より 5回分余計に滝を浴びたわけですが、
滝行は水の中に入っている間はいいのですが、
上がってからがむしろ冷えるのです。
鉢巻きを締め直すたびに助手の者の所まで行って、
また戻ってくることを5回やったわけで、
最後には滝に向う身体が既に震えはじめていました。
何とか上がってくると例のほら貝の音が聞こえてきました。
身体が震えて着替えにだいぶ時間がかかってしまいましたが、
その間ずっとその音がしていたのですが、
助手の者が言うには滝の上の方 =戸の口ヶ原の方から聞えるとのこと。
現在私たちは西日本大震災 =伊方原子力発電所の臨界という未来を知っているのですが、
助手に「あぁ、薩長壊滅だなぁ」と話すと頻りに肯いていました。
ほら貝をウィキペディアで調べてみると、
戦国時代には合戦における戦陣の合図や戦意高揚のために、陣貝と呼ばれる法螺貝が用いられた。
近代期の戦闘においても陣貝は用いられ、一例として、明治期の秩父事件において、戸長役場の報告として、「町の東西北三方より暴徒600人計、螺(ホラ)を吹き、鬨の声を発し、押し来たり」と記録されている。
ということで「攻撃の合図」と解するのが妥当かと思われます。
今回 20分ぐらいは継続していたと感じましたので、
これからの数年間は私共にとって攻撃の時
となるのかもしれないとおぼろげに考えた次第です。