“赤トンボ”と新左翼

 私が故郷を後にして東京の大学に入ったのは、昭和42年(1967年)春のことでした。今、年表でこの年を繰ってみると、私にはあの時代の様々な記憶が、決してセピア色などではなくかといって最新のデジタル映像の鮮明さとも異なる、一種独特な翳りを伴って蘇ってきます。それは一つの時代にかかわってきた者が時を経て再びそれらに触れた時に感じる、ある種の気恥かしさと妙に生々しい肉感とでも呼んだらお分かりいただけるでしょうか。
 私たちがその当時どこまであの時代の実相を認識していたかは疑問であり、それはただ単にその渦中にある者には時代の底流が見えにくいという歴史学の本質的逆説に理由があるだけではなく、その一端は若者特有の未熟さにもあったのではないかと思われるのです。確かにベトナム戦争は泥沼化し、B52が横田や嘉手納から飛び立ち原潜が横須賀や佐世保に寄港していたわけですが、一般学生が日常的にそれらの光景を目にするわけではなく、あくまで新聞やテレビ-それもアパートにはなく食堂などで見る-の間接的情報に触れていただけなのです。一歩街を歩けばミニスカートの下から伸びる女たちの足が群立し、ゴーゴー喫茶ではそれがジーンズにからみ合う光景こそ最も身近なものであり、「反代々木系全学連のデモ」も「モーレツア太郎」のギャグも等価だったところに私たちはいたのではないでしょうか。刊行100年を迎えた「資本論第一巻」がいかに読まれたかは、同じ机の上に載っていた「あしたのジョー」と同一のスペクトルだったのではないかとも思われるのです。70年安保に関しても事は同様で、法学部の学生でありながら日米安保条約-これは試験には出ない-の条文に直接当ったことも私にはなかったのでした。
 何しろ田舎の家で両親が細々営む工場からの仕送りと日本育英会の特別奨学金とでやっと過ごす貧乏学生にとって、視野を大きく広げる機会はさほどなく学校の研究室とアパートを往復するだけの単調な生活でした。そんな時に第一次羽田事件が起き、京大生山崎博昭が自分と同い年で亡くなったことに私はとてもショックを憶えたのです。
 「彼らは、ひょっとしたら我々が幾許かの甘い汁を期待している国家そのものを拒絶している。この期に及んで国家試験を目指している自分とは何者なのだ?」と思うと、すべてが手につかなくなってしまったのです。あのチェ・ゲバラもその頃ボリビアの山中で死亡したわけですが、その姿に山崎や「青春の墓標」の奥浩平、あるいは60年安保の岸上大作らの影が二重写しとなっていたことは確かでした。
 次の年は「プラハの春」と「パリの5月革命」で明け、夏休みには「ソ連軍のチェコ武力侵入」があり、逡巡していた私たちは既に東大・日大で結成されていた「全共闘」の流れにストレートに合流していくことになるのです。合言葉は「自己否定」と「連帯を求めて孤立を恐れず」、マルクスと吉本隆明の著作を携え、敢然とバリケードの中に立ったのでした。国家試験は拒否したものの、その先に何があるのかなど考えている余裕は誰も持ち合わせてはいなかったでしょう。しかし、事態は思いがけぬ形で展開していきました。
 何日も大学に寝泊りしていると、ご飯とか風呂とか下着とか、そうした日常的なものの有難みがよく分ってくるもので、特に膠着状態となっている非日常的な世界では、何かの拍子に人間は思想とか論理とかよりも心情やメンタリティの方が鋭敏になるのでしょうか。ある日の夕暮れお茶の水の街に出た時、よその大学のスピーカーから「赤トンボ」が聞こえてきたのです。普段は「学生諸クーン!」とか「我々は闘うゾー」、あるいは「○○内閣ダトー!」とか「アメリカ帝国主義ハンターイ!」とかしか流れぬスピーカーから、一人の男子学生が「夕焼け小焼けェの~」と唄っていたのです。晩秋の街では行き交う人々もコートの襟を立て何やら哀愁が漂う中、私の心はその時大きく揺れ動いたのでした。家や両親のこと工場の人々の顔などが脳裏を去来し、何かとても心配になって故郷への列車に飛び乗ったのでした。早朝工場に着くと既に裸電球がこうこうと灯り、いつも通りの機械の音と何一つ変わらない人々の姿がそこにありました。この時私はふいに東京での自分の生活を恥じ、人々の営々と働く姿こそが自己の原点であることに気付いたのです。
 この後新左翼運動は安田講堂の敗北を経て、70年安保の自動延長により一般学生レベルではほぼ収束し、後の連合赤軍事件で論理的にも破綻していったと私には思われます。そしてこの時にも、リンチの直接の原因は箸の上げ下ろしや洗面の作法といった日常的な生活習慣の相違が引き金となったといわれています。論理やイデオロギーといったものよりも、心情やメンタリティこそが人間や思想を構成するより重要なファクターであることを、私はこの後数年がかりで検証していくことになるのです。
 昭和45年(1970年)に起きた三島由紀夫による自衛隊乱入・割腹事件も、連合赤軍同様の観念論が右側へ突出しただけのことであり、両者とも現実からは遠く乖離していたと考えられます。本章では、以下、昭和史を遡る形で思想やイデオロギーというよりも精神構造に焦点を当てながらこの時代を解明する試みを行っていきたいと思います。

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