旧左翼の歴史観

冒頭で「新左翼」という言葉を用いましたが、私たち一般学生はいわゆるセクトに属していたのではなく彼等-ブント・中核派・社青同・核マル派等-とは一線を画していました。セクト同士の違いも赤・青・白のヘルメットの色で認識していただけであり、その理論や戦術などには全く関心がなかったのです。唯一分っていたのは、議会制民主主義の枠内で革命を起こせるなどは論外であること、現在の資本主義の段階が高度な独占段階にあることなどでした。最初は国家試験が目的でしたので法律書しか読まなかったのですが、時恰も70年安保の直前、大学側の旧態依然たる管理機構に沖縄返還などをからめて、中庭のスピーカーからはアジテーションがフルボリュームで流れ、立看や旗が林立していたのが思い出されます。一年も経たないうちに本棚にはマルクス・エンゲルスの著作や内外の左翼思想の文献が、法律書を押しのけるように並んでいったのも当然です。
では、何故私たちは代々木ではなく反代々木にシンパシーを覚えたのか。60年安保に関する次節での考察がより重要な手掛りとなりますが、当時の私たちには党による管理など全く考えられなかったことと、モノ取り主義は馴染まなかったというのが当っているのではないでしょうか。それに、闘争の「スタイル」ということもあったのです。現在の視点からあるいは成熟した大人の眼からみれば、当時の「青年層の過激行為は窮乏感とは無縁なだけでなく、観念への賭けで仮構のアイデンティをつくりだすことをめざして」いたのでしょう。また「”モラトリアム”の状態におかれているがゆえに、社会的責任を免責されている未成年集団を想わせる」に十分です。その背景には、急速な経済成長がもたらした「村」の崩壊と「都市化」の進展があったことは、その後数年で私も発見していきました。全共闘運動とは、まさに「連帯を求めて孤立を恐れぬ」、政治力学やパワーポリティクスの論理の対極にあったと申し上げられるでしょう。
このような観点で社会・共産を始めとする旧左翼陣営を見ていくと、スターリン批判と六全協による農村からの武争闘争路線放棄の時点で左翼の正統的思想生命は終焉し、”革新”とか”進歩的文化人”などという概念も、60年安保で馬脚を現していくのがよく理解されます。しかし、戦後の呪縛された精神構造を明らかにするうえで、旧左翼の歴史観がどのようなものかを検証することは現時点でも有効かと思われます。
マルクスの「経済学批判序説」で展開される史的唯物論は一旦置くとして、その日本近代への適用である講座派・労農派の主張を今読み返すと、コミンテルンのテーゼが大前提として先ずあり、それにいかに明治以降の歴史を重ね合わせるかという感じが否めません。戦前のこの流れが戦後の共産・社会両党に受け継がれるわけですが、一つ思い浮かぶのは戦前の日本がいかに貧しかったか、そして戦後の窮乏さえもまたアメリカ占領軍によって打開されたという事実ではないでしょうか。敗戦と占領軍による改革という背景を考えずには、旧左翼の歴史観の微妙な変容を理解することは不可能だと思われます。確かに戦時中抑圧されていた立場からは戦前=暗黒時代と映るのは当然ですし、戦争責任を天皇と軍部などに一方的に押付けることも容易なはずです。そして冷戦構造の進展に伴いアメリカが「かつての共産主義を敵視した『治安維持法』を-(中略)-国際社会に適用したと見えた時、アメリカ帝国主義と対立する共産圏が必要以上に美化された」のも自然な成り行きだったのではないかと考えられます。
占領下の旧左翼昭和史観を代表する遠山茂樹他「昭和史」が刊行されたのが昭和30年(1955年)、これに対する亀井勝一郎の異議申立てを引用することで、旧左翼の歴史観はより一層明瞭になると思われます。
「無暴の戦いであったにせよ、それを支持した『国民』がいた筈である。昭和の三十年間を通じて、その国民の表情や感情がどんな風に変化したか。この大切な主題を、どうして無視してしまったのか」と亀井は主張します。
さらに「『皇国史観』と『唯物史観』とは、かつての”忠臣”が “逆賊”に転化したように、たんに価値観を入れかえただけの公式主義ではないか。-(中略)-『その中間にあって動揺した国民層のすがた』が『見あたらない』-(中略)-『戦争を疑い呪って死んだ若い学徒兵』の声のほかに、『あの戦争を文字どおり『聖戦』と信じ』た『無数の兵士』の声も聞かれなければおかしいではないか」というのがおおよそのところです。
「今から思うとほとんど常識といっていいことに帰する」言ですが、”社会党びいき”であることが進歩的・文化的と考えられていた当時の状況-たまに”自民党びいき”がいると知性や人間性まで疑われる-の中では侃々諤々たる論争を引き起こしたのです。
亀井がいみじくも突いた旧左翼の歴史観の問題点は、その後も時代を経て異なった論者により何回もむし返され、そのイデオロギー的双生子たる皇国史観もまた依然として登場し続けて現在に至っているようです。左翼陣営の中でも「主体性論争」や「構造改革論」のような修正が施されていくのは、「唯物史観」自体に大きな欠陥が内在していた証左ではなかったのでしょうか。そして、この旧左翼の歴史観に反米ナショナリズムが加味されたのが、次節で述べる60年安保に他ならないと私には思われます。

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