歴史学者の怠慢

「百害あって一利なし」

連休明けの新聞の記事下に載っていた書籍広告、
「 日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで」という題で、
中公新書から出ているのですが、
どうも怪しいのでとりあえず古代史担当の執筆者をググってみると、
いっぱい書いているのですが、
とりあえずわかりやすい壬申の乱を見てみました。

すると、
「 天智が臨終に際して大海人を殺害しようとしたが、これを大海人が察知して吉野に逃れ、やがて大友と対決するというのが、周知の乱のストーリーである。しかし、天智はみせかけでなく、本当に弟に政権を譲ろうとしていた。では、なぜ乱が起こったのか…。大海人の死後、持統天皇は、頻繁に吉野宮を訪れている(実に8年間に30回!)。自らの皇統が、吉野と深い結びつきを持つことを誇示するねらいがあったのだ。律令国家の基礎を創った女帝の視点からもう一度古代史を見直すのはいかがだろうか」
などという無茶苦茶な説明が。
まず、天智と天武の出自が間違っているし、
この二人が兄弟だというのも大間違い。
だから、壬申の乱の位置付けも全くとんちんかん。

正しくは壬申の乱は唐新羅連合軍の占領下において、
先に近江遷都をおこなった九州勢に対して、
斉明と天智の吉備・播磨勢が侵攻し、
双方にかなりの被害が出た中、
唐新羅連合軍の援助もあったであろう吉備・播磨勢が勝利したのが667年。
その後、チベットの反乱によって唐新羅が撤退したことを受け、
九州勢が再度斉明と天智を攻撃した事件なわけです。
この意味をどう考えるかが今の私の課題なのですが、
この無能な国際日本文化研究センター教授、
九州王朝論も何も全く分かっていない。
もう既に環日本海の東北王朝論に到達している
眼からすると、
百害あって一利なしの学者が跋扈しているとみえます。
真実を覆う所でこの国は成り立っているのだと考えられます。

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