中世より退行している

「暗黒時代に逆戻り」

昨日ニュースレターを出しに事務所まで行きましたが、
高速はかなりすいているし、
お昼にはいったいつもの食堂もガラガラ。
帰りに寄った食品スーパーも全く込み合っていないという状況で、
先週の安倍達による学校閉鎖党の通知が効いている感じでした。
まぁ、私共はバイオハザードのパワーで防御されているので、
別に怖いと思う気持ちはないのですが、
一般国民にしてみれば見えない恐怖なので、
さもあらんと思われました。
ただ、人混みに行かないというだけでは不十分であり、
伝染病というものは空気感染はもちろん、
水や食べ物だって荷物にだって付着して来るし、
電車やバスだってタクシーだって感染の恐れがある。
問題はですから、感染状況がきちんと把握されること、
それに対して隔離された医療施設等が用意されていることなどが重要。
にもかかわらず、この国では感染者数を少なく見せるため、
民間を動員すれば 1んちあたり最大で90000件と言われる、
CPR検査というものをほとんどやっていないところがナンセンス。
それでいて、
学校を休みにさせたり一方で学童保育は継続するなど、
パフォーマンスだけを行っているのが現在の日本政府なのです。
御用学者や御用評論家ばかりがメディアに出てきて、
もっともらしい嘘をへらへらとしゃべりまくっているだけで、
本当に必要な情報はほとんど上がってこないのが現状。

こういう状況ですので心配性な人たちは、
予言者や占いの類いに深入りしていくわけです。

最近のコロナウイルス肺炎のパンデミックとか、ドイツ銀と中国による世界経済の巨大崩壊とか、「地球温暖化?」による、人類の生存条件の苛酷化とか、トランプによる「ハルマゲドン」第三次世界大戦の開始とか、立て続けに人類史に記録されるようなカタストロフィーが続いていて、本気で「人類滅亡」を間近に心配しなければならないような事象が続いているからだ。
こんな時期だからこそ、先人、賢人たちは、人類の未来について何を予言しているのか再確認してみたい。

というのですが、
釈迦予言などと言っても釈迦が直接ゆったわけではなく、
何百年も後に東南アジアや中国の連中が創作したものではないか。
キリストだって新約聖書だって、
すべてのちのカトリック教会のでっち上げ。
また、聖徳太子などと言っても、
九州王朝論からすれば、

「書紀」は上宮王家を隠すため、上宮耳と耳の太子厩戸を合体させて聖徳太子を捏造し、「日本紀」に付けられていた系図一巻は破棄したのである

ということになり、下らぬ預言者たちなどには退場してもらうしかない。
かといって、コロナウイルスを軽んじている人たちにも困ってしまう。
私共も今後のセミナーについては状況を見ての判断としているにもかかわらず、
絶対大丈夫だというのは筋違いではないのか。

2011年の福島の放射能漏れ (ああ、もう9年が経つ。早いものだ) のときもそうだった。あの時と同じように、正確な知識を持たないで、やみくもに「コワイ、コワイ」と恐れるのは愚か者がすることだ。

というのですが、
この人は自分の放射線障害と呼吸器症状の心配をした方がいい。

非常に非科学的な言説しか流れていないため、
安倍などは中身のない抽象的なことしか言わないし、
具体的な対策などには全く触れずに飲み食いざんまい。

 安倍氏は肝心なことには何も答えませんでした。次の3点です。
1. 突然「全国一斉休校」を要請(事実上強制)したのはなぜか。その説明を当日まったく行わなかったのはなぜか(「この1、2週間が瀬戸際」と言うだけ)。
2. クルーズ船の感染対策も含め、この間の政府の対応の反省点をどうとらえているか。今後に生かす教訓は何だと考えるか(「必要なことは躊躇なく行う」と繰り返すだけ)。
3. 間近に迫った東京オリ・パラの開催をどうするのか(「アスリート、観客が安全で安心できる大会にする」と言うだけで、「安全・安心」とはどういうことか、どうやってそれを保証するのかについては一切述べず)。
この3点に答えない会見に何の意味があるでしょうか。

というのが正解といえるでしょう。
カミュのペストは直接読んだことはないのですが、

発表されるや爆発的な熱狂をもって迎えられた、
『異邦人』に続くカミュの小説第二作。
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。
つ本文冒頭より
この記録の主題をなす奇異な事件は、一九四*年、オラン(訳注 アルジェリアの要港)に起った。通常というには少々けたはずれの事件なのに、起った場所がそれにふさわしくないというのが一般の意見である。最初見た眼には、オランはなるほど通常の町であり、アルジェリア海岸におけるフランスの一県庁所在地以上の何ものでもない。
町それ自身、なんとしても、みすぼらしい町といわねばならぬ。見たところただ平穏な町であり、地球上どこにでもある他の多くの商業都市と違っている点に気づくためには、多少の時日を要する。
本書「解説」より
ペストに襲われ、外部とまったく遮断された一都市のなかで悪疫と戦う市民たちの記録という体裁をとったこの物語において、ペストの害毒はあらゆる種類の人生の悪の象徴として感じとられることができる。死や病や苦痛など、人生の根源的な不条理をそれに置きかえてみることもできれば、人間内部の悪徳や弱さや、あるいは貧苦、戦争、全体主義などの政治悪の象徴をそこに見いだすこともできよう。たしかにこの作品はそういうふうに書かれており、そしてなによりも、終ったばかりの戦争のなまなましい体験が、読者にとってこの象徴をほとんど象徴に感じさせないほどの迫力あるものにし、それがこの作品の大きな成功の理由となったことは疑いがない。
――宮崎嶺雄(訳者)

ということで、
非科学的なコロナ狂想曲は劣化した日本国民にも責任の一端がある
と言わざるを得ないのではないでしょうか。

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