2022年の展望

「この国・この世界の再定義(2)」

本題に入る前に下の Twitter 特にコメント欄を見てください。

だいぶ下の方のコメントで、
「 おかしいかもしれませんけど、日本人らしい思想ですね。日本人は「みんなからの承認」を命と同じくらい大事にしています。みんなが打つなら、自分も命がけで打たないと、自分の存在が肯定できないんだと思います。特攻隊などという作戦を考えだしてしまう思想は現代にもちゃ~んと残っています。」
というのがありましたがまさに特攻ないし集団自決の発想と考えられます。

そして集団の意思決定に従わないものは、
下のような経験をさせるよう同調圧力をかけてくるわけです。

結局愚民というか奴隷根性と言うか、
そうした精神構造が日本人というものを規定しており、
その淵源は何であったのかを考える必要があるわけです。
70年安保が敗北した頃吉本隆明は、

奇妙といえば奇妙なことですが、本来的に自らが所有してきたものではない観念的な諸形態というものを、自らの所有してきたものよりももっと強固な意味で、自らのものであるかのごとく錯覚するという構造が、いわば古代における大衆の総敗北の根底にある問題だということができます。この敗北の仕方は、十分に検討するに値するので、国家といえば天皇制統一国家という一種の錯誤、あるいは文化と言えば天皇制成立以降の文化というふうな錯誤が存在するのですけれども、その錯誤の根本になっているのは、統一国家をつくった勢力の巧妙な政策でもありましょうけれども、ある意味では大衆が、自らの奴隷的観念というもので、交換された法あるいは宗教あるいは儀礼あるいは風俗、習慣というものを、本来的な所有よりももっと強固な意味で、 自らのものであるかのごとく振る舞う構造の中に、本当の意味での日本の大衆の総敗北の構造があると考えることができます(「敗北の構造」より)。

と述べたわけですが、

「現在の或いは近代以降の日本国家を相対化するには、『天皇制の相対化』が本質的な課題となりますが、それは何もどこそこで万世一系が途切れたとか、ここで南朝が北朝に変わったとかをあげつらうことではなく、天皇制国家のイデオロギー的擬制を国家論のレベルで打破することが必要だと考えられます。」

そうした問題意識に端を発した私の古代史論は以下のように始まります。

この国では現在、老いも若きも洗脳状態にどっぷり浸かっており、この先、膨張する中華帝国と統一される半島の傍らで、少子高齢化と科学技術の衰退に見舞われていき、中韓に追い越されるのは時間の問題だと考えられます。その時、日本国民はどんな態度をとるか。最悪のケースが洗脳が解けぬまま右傾化を強めていく方向であり、 核武装を考えたり、アメリカが守ってくれると思っていても、おそらく米軍は移転していき、梯子を外された日本国民はその時はじめて外圧にうろたえるのではないでしょうか。 私の日本史論は、近代が「欧米金融資本と跛行的近代」、近世が「ヨーロッパ人の来航と日本近世」、中世が「日本中世奴隷制論」という表題の予定ですが、最初に古代史論として「改竄された記憶 日本古代史論」が来なければならない。というのも、「旧唐書日本国伝」に「其の人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対こたえず。故に中国これを疑う。」という記述があるからです。すなわち、改竄は「日本書紀」に始まり、遣唐使として中国に渡った日本国の使者は、その偽りの史書の言葉で自らの「歴史」を語り、中国側はそれを疑いの目で見たとされるからです。古代史の真実がこの国の学校で普通に教育される日がいつ来るかはわかりませんが、それを国民が―右から左まで―共有しない限りこの国の再生はありえないと考えられます。

そして今回のコロナ禍もあって現在の風潮は,
「洗脳が解けぬまま右傾化を強めていく最悪のケース」、
となっているわけですが、
あるいはそうした軽薄な連中はほとんどワクチンを打ったわけであり、
5年後にはほぼ100%淘汰されることが決まったわけです。
それで今年の課題としてコロナ前にやり残した、
「日本中世奴隷制論」、「ヨーロッパ人の来航と日本近世」、
「欧米金融資本と跛行的近代」を完成させる必要がある。
生き残った日本人は正しい歴史観によってしか大陸半島勢と対峙することができない
はずであり、
そのためにもそこまでは何としてもやらないとと考えています。
歴史を改ざんするヤクザのような連中については、
次回具体的にお話ししたいと思っております。

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