古田武彦の業績

「時代的制約はあったが」

今週中に古代史論の最後として、
「東北王朝論」を書き上げるために、
古田武彦の本を再び読んでいます。
この古田武彦が依拠したのは、
「東日流外三郡誌」というものなのですが、
この経緯に関しては次のように述べられています。

近年、青森県三内丸山の縄文遺跡発掘に象徴される様に、日本各地の古代遺跡の発掘調査が進み、それに伴って、日本古代史に関する旧来のイメージが大きく揺らぎ始めている。また、そのため、日本古代史の全般的見直しが歴史学の避け難い課題ともなっている。古田武彦の「九州王朝」(倭国)、「東北王朝」(蝦夷国)説は、その様な見直しの試みの一つであり、むしろその動きを先導してきたものと言うべきかも知れない。
その中、いわゆる「九州王朝」説は、日本・中国・朝鮮の諸史籍の緻密な再考証、精力的なフィールド・ワーク、鋭く豊かな推論などから導き出された説であり、今や旧来の正統史学を沈黙に追いやる気配さえある。しかし、この説は、「大和朝廷」(近畿天皇家)が663年(天智2年)の白村江の戦いで大敗した「九州王朝」に対する従臣のクーデターによって成立したと見る点で、期せずして、今日の国際教育に対する大きな問題提起ともなっている。例えば、彼がその著書『「君が代」は九州王朝の讃歌』(新泉社、1990年刊)等において示している事実認識に対して、日本の教育関係者はどの様に対応するべきであろうか。
他方、「東北王朝」説は、神武東征以降、その支配地域は徐々に侵奪縮小されてはいくものの、古来から「倭国」と共に「蝦夷国」が存在したとする説であり、中国史籍の『冊府元亀、外臣部、朝貢三』等と共に青森県五所川原市飯詰字福泉・和田喜八郎所蔵の『東日流外三郡誌』も傍証として用いている。

九州王朝説に関しては、
70年代に古田武彦が唱え始めた当初と、
その後九州古代史の会等によって研究され、
90年代以降徐々に姿を現し始めた全体像は、
かなり異なった結論になっている。
その最大の違いは神武東征に関するものであり、
古田武彦は「神武は九州から瀬戸内を経て近畿に東征した」とするに対し、
九州古代史の会の論者たちは「神武は筑豊に東征した」と見る点です。
当サイエンスの古代史論を見てもらえばわかるように、
結果的には九州古代史の会の論者たちの方が正しかったわけで、
古田説には様々な誤りもあるのですが、
やはり古田武彦の提唱なくして九州王朝論は始まらなかったわけです。
コペルニクス的転回とはこのようなことを言うのであり、
その古田武彦が『東日流外三郡誌』を引っ提げて、
「東北王朝論」を展開したというのは、
まさに論理的必然であったということができます。
つまり、この1300年間、
悠久の大和朝廷が近畿に古来から存在したと思って来た日本人にとって、
南船北馬の民が九州と出雲において王朝を形成し、
同時に東北・北海道においても王朝が形成されたことがわかったからです。

アジア大陸の粛慎族を祖とする阿蘇辺族に関する伝承を記している。しかし、この阿蘇辺族は、同じくアジア大陸の靺鞨族を祖とする津保化族の侵入と岩木山の大噴火のため、そのほとんどが滅び去った。その後、中国の晋では恵王帝の群公子が殺されるといった内紛が生じたが、その難民も大挙して津軽に漂着し、津保化族と融和定住するに至った。
この様な日本北辺の広く外に開かれた原風景の記述は、実証的裏付けが乏しい以上、絵空事として退けることも容易であろう。しかし、太古の時代からこの様な民族移動がなされて来た蓋然性もあながち否定は出来ない。『日本書紀』の660年(斉明6年)の条には、阿倍臣が陸奥の蝦夷を兵とする軍船200艘を率いて粛慎を伐った旨の記事が見られ、また、724年(神亀元年)に大野朝臣東人が建立したとされる「多賀城碑」には、「靺鞨国界去三千里」の字句も見られる。この様な事実は、東北地方と東アジア大陸の間に古くから緊密な交流が続いて来たことを示すものかも知れない。

そして古田武彦が冷静なのは、
『東日流外三郡誌』の編著者たる秋田孝季が、
「荒吐族」の祖先としての安日彦・長髄彦兄弟とは、
神武東征に際して近畿を追われた、
「記紀」に言う長髄彦兄弟としているのに対し、
それは当たらないであろうと看破している点によく現れています。
そして、従来の官製史学の狭隘な視野を飛び越えて、
当時の日本 =九州倭国+東北蝦夷国の間で認識されていた版図は、
北はウラジオストク・サハリン・カムチャッカ半島~ベーリング海、
南は九州~沖縄諸島にまで至り、
これは縄文以来の海上交易を引き継いだものだとする歴史観は、
まさに現在鎖国状態に陥っている日本人が真剣に学ぶべき事柄。
この壮大なパースペクティブからすれば近畿の天皇など取るに足らない
存在であり、
こうした認識の上に 607年の遣隋使の問題があるわけです。
この古田武彦の生まれが福島県喜多方市であり、
私の会津若松の隣町であったことが偶然かどうかはわかりません。
いずれにしろ、このパースペクティブがあれば、
万が一今のところが放射能が高くなったら、
ウラジオストックという選択肢も出てくるわけで・・・。

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