永遠の生命とは
「パラダイムシフトが必要」
昨日、現在の時代は「ルネッサンス以来の体系が崩れ始めている」、
「ギリシャ・ローマ以来の学問の体系を見直さなければならなくなっている」
のではないかと申し上げました。
それは例えばアレルギーや自己免疫病の定義に際して、
現代免疫学の抗体仮説が以下のような状態と考えられるからです。
1966年にアレルギーを起こす原因=IgE抗体を発見した石坂夫妻の業績を機に発足した日本免疫学会があるが、「自己」「非自己」を区別する分子は何かの研究の利根川進や抗体医薬オプジーボ(薬価が無茶苦茶高い)の本庶佑などノーベル賞受賞者を輩出しながらも、新型コロナや遺伝子ワクチンの本態に関しては全く的外れな議論が展開されていることは元々こうした論理が破綻していると考えられる。
石坂夫妻の発見に貢献した多田富雄氏によると、アレルギー(=場違いな反応)が記されたのは16世紀の医師カルダーノに始まり、古代エジプトやユダヤにもアナフィラキシー(=免疫の保護を失った状態)のような記述はあるものの、これが免疫反応と呼ばれる生体反応であることが認識されたのは20世紀になってからとされている。「自己」「非自己」の峻別を免疫の基本としたのは1901年のエールリッヒの論文だが、間もなくこの原則に反する例=自己免疫性溶血性貧血が出現。そしてその後各種の自己免疫疾患が無数に発見され、これらは先に引用した荒川央氏が述べたように、「一体どこで起こるか予測不能」、「いまだ確定的な研究なし」、「T細胞の抗原特異性はほとんど解析不能」、あるいは、「『自己免疫疾患』がいくつあるのか、100個なのか200個なのか不明。ただ、病名が付いてないものの現に存在する自己免疫的反応は100個200個どころでは済まずはるかに多くある筈。人間の遺伝子はおよそ2万個、そのどれもが自己抗原になり得るし、どんな自己抗原に対しても抗体形成は可能だが、その結果、何が起こるかは分からない。」というのが現状である。また、血清病・遅延型過敏症については、コロナの禍中で明らかとなった“モノクローナル抗体の悪影響”でメカニズムが解明され、米FDAなどもこうした治療を禁止したほどであった。
なぜこれらの「場違いな反応」が近年多発して止まるところを知らず広がっていくのかを考える時、私たちは18世紀後半から19世紀の産業革命に伴う農業生産の構造的変化=農薬・化学肥料の使用開始に原因があったのではないかと思い当る。資本制的農業は収量逓減の法則を“科学的”に乗り越え、20世紀になるとこうしてできた農畜産物に“化学的” 添加物が加えられ、グローバル化が進んだ20世紀後半にはスローウイルスによる汚染が―WHOの虚偽の下―全世界に拡大。同時に21世紀前後から遺伝子組換技術が農畜産物すべてに広がり、食生活を通じた様々な慢性疾患を引起こしているほか、放射性物質や電磁波障害・重金属汚染なども放置されているのが現状。現在の私たちを取り巻く環境は非常に厳しいものがあり、これらの条件をフラットにしないまま対症療法を続ける近現代医学の思考様式を変えない限り、各種アレルギーは治癒しないと断言できるのではないでしょうか。
そして次に私どもが遭遇したのは、
以前も申し上げましたが永遠の生命と言うか、
天命=120・30才あるいはそれ以上健康を維持することが、
可能であるということを発見したところにあります。
具体的な手立ては今後発表していくとして、
この発見の前には全ての病が治癒可能であると言う認識ができたことです。
今年度は3月ぐらいにその第1弾を発表したいと考えておりますが、
実は原理的にはごくごく簡単なことだったのですが、
人類のほとんどがかつてあったそうした認識から遠く離れてしまった、
という歴史があるのではないかと考えられます。
おそらく旧約聖書以前の問題かと思われますが、
文明の断絶というものがかつてあったのではないかと私どもは考えています。
この大きな流れから離れたことが人類の不幸の始まりであり、
それはまた戦争・飢餓・病といったものの始まりでもあったわけです。
大きく言えばギリシャ・ローマに端を発する学問が、
方向的に至高の世界から離れてしまったとも言えます。
ルネッサンスの巨人たちはもう一度そうした世界に還ること、
を提唱したとも言えますが、
彼らがどの程度それらに迫っていたのかは何とも言えません。
その流れで考えれば近代医学とか現代科学とかの不完全性は、
取るに足りないものとも考えられます。
YES /NO は認識論的にそれらを超越したものですがそれと同じ普遍的な世界を取り戻す
ことが今後の課題となるのではないかと考えております。