瞠目すべき古代史

「森友や加計などとは比べ物にならない」

以前、室伏志畔氏の古代史論を取り上げ、
通史とは大幅に異なるといい、
邪馬台国や 委奴国、また九州王朝や出雲王朝についての説を取り上げました。
で、これらがYES/NOでYESなら氏の古代史論に信憑性があるわけです。
4月に入ってようやく時間が取れたので、
昨日見てみたところ、三問ともYESということ。
ですので、瞠目すべき史実が明かされたということができます。

まだよく頭に入っておりませんので、
とりあえず上の表を作っておきましたが、
要するに、原倭国とは九州の飯塚市周辺に成立した呉の民による国家。
同時に流れて来た越の民は、出雲で国を作った他越前越中越後あたりに定着。
その後、朝鮮半島経由で進出してきた北馬系勢力が 呉越の民の国に侵攻し、
出雲王朝は二度にわたって滅びてゆく。
また、原倭国はその後博多沿岸で委奴国として再建されるわけ。
この朝鮮半島経由の勢力がその後さらに増加し、
呉の民との争いが絶えなかったのが倭国大乱。
そのため卑弥呼が擁立されて邪馬台国となるわけですが、
九州王朝というのはその後も筑紫王朝と豊前王朝とが並行して6・7世紀に。
この関係が激変するのが白村江の戦いであり、
唐新羅と結んだ豊前王朝の中大兄や中臣鎌足の謀略で、
筑紫王朝は唐の占領という憂き目を見るわけです。
しかし、チベットの反乱で唐が撤退した隙に筑紫王朝の天武が旗揚げし、
中大兄を始めとする勢力を駆逐したのが壬申の乱。
中大兄は近江に逃げるわけですが、
天武もこの時近江に入り、中大兄に勝利して藤原京を開設。
ところが、 天武亡き後、大津皇子の乱で近江京側が権力奪取に成功、
中大兄や中臣鎌足側の皇統が奈良朝から始まるわけです。
つまり、天武以前の王朝は近畿には存在しなかったのであり、
私たちが知っているそれ以前の出来事は、
全て九州王朝内で起こった出来事で、
それを記紀がパクって、
神武以来の近畿で起きたことと改竄したわけです。

(http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/karuta/karuta39.html)

これは、森友や加計などとは比べ物にならない大きな改竄であり、
日本国民のほとんどは記紀の創作した共同幻想に騙されているということ。
90年代末から2000年代にかけてこれらの事実が明らかになって行ったのですが、
この功績は、
旧石器捏造などに簡単に騙されたアカデミックな学者ではなく、
古田武彦の限界を突破した民間の歴史学者によりなされたもの。
吉本隆明の創刊した「情況」や「試行」という雑誌があり、
これらに結集した革命的左翼により天皇制の嘘八百が露見した
と言っても良いのではないかと思います。

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