属国の終わりも近い

「不都合な真実が語られ始めた」

今朝非常に貴重な情報が本当のことが知りたいだけさん、
という方のTwitterに載っておりました。
特攻隊員と麻薬覚せい剤に関するものですが、
以下に連続した記事として貼り付けておきます。

元特攻隊員(91歳)が語る。 「志願じゃない。強制です」。 隊員に選ばれ、失神する仲間たち。 逃げ出して憲兵に捕まり、自殺した人もいたという。 「逃げても地獄、突っ込んでも地獄。これが特攻ですよ」 自らで生きて帰らないと誓ったのではない。 生きては返すなと誰かが決めたのだ。
菊の紋章」が入っていたという“覚醒剤チョコ” 特攻する前に覚せい剤入りチョコレートを食べさせられていた。  アメリカ軍の艦隊に次々と突撃していく若き日本軍兵士たち。特攻という無謀な作戦により6371人の尊い命が奪われました。
特攻隊員に覚醒剤を注射していた元軍医『本当にかわいそうで仕方ない』 海軍の航空基地で軍医  答えを知る人が新潟県にいた。蒲原宏さん(98)1945年、多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県にある海軍の航空基地で軍医をしていました。そこで「出撃前の特攻隊員に覚醒剤を注射していた」と証言する。
「僕は初めはヒロポンとは知らなかったわけですよ。黒いケースに10本アンプルが入っていて、説明書にはただ『筋肉内注射しろ』と。『出発前にやれ』という命令だけでよくわからなかった」  上官の命令で約300人の特攻隊員に覚醒剤とは知らずに注射をしていたといいます。その目的は…
「眠らないためということが主目的でしたね。戦闘力というか興奮させるといいますかね、そういうものを増進させることが目的だったようですね」 鹿児島の基地から戦場の沖縄までは戦闘機で3時間ほどの距離があり、夜間の出撃で眠ってしまわないようにする狙いがあったといいます。
「真ん中あたりに指揮官が乗るわけですよ。それが日本刀を振り回して滑走路を飛んで行くのを見たことがあったが、今考えると(覚醒剤で)興奮したのかなと思うけど、わからないですね」  特攻隊員に贈った覚醒剤チョコの存在も知っているのでしょうか。梅田さんが書いた絵を見てもらいました。
「これは見たことがありませんね。(私のもとには)実際来ていませんね。陸軍はチョコレートに(覚醒剤を)入れたなんてことを言っていたけど、海軍はもっぱら注射だけでしたね」  特攻隊員に使われた記録はありませんでしたが、陸軍では覚醒剤チョコを作っていたというのです。
悲劇の背後に隠された“不都合な真実” 軍と覚醒剤について長年研究をしている相可文代さん  特攻という悲劇の背後に隠された覚醒剤。軍と覚醒剤について長年研究をしている相可文代さんは、覚醒剤チョコの記録がほとんど残っていない理由を次のように指摘します。
戦後、覚醒剤のヒロポン禍と言われる、いわば幅広く中毒者が出た事件があったんですよね。(特攻で)純粋な気持ちで亡くなっていった若者たちが、実は覚醒剤を摂取して出撃していたんだなんて、そんなことは絶対に認めたくないと、当然遺族はそう思いますよね。周りもそれには触れない。
軍の上層部もそんなものを与えていたとは知られたくない。不都合な真実だと思いますね」 今は自由な生活を楽しむ梅田和子さん。覚醒剤チョコについて「当時は反対できる状況になかった」といいます。
「何をしてもあのころは(戦争に)協力しない生き方というのは見つけられないですね。戦争というのは自由を失うんです。一つの方向にみんなそっちを向かないといけないという、この怖さがありますね。一人一人みんな大事な命を持っていることをもっと認識されないと」
軍の無謀な作戦により尊い命が犠牲となった特攻。その裏にある“不都合な真実”も語り継いでいく必要があるのではないでしょうか。
辛い。
美談にされているが事実は違う。

以前私もこの点については同一の観点を述べたのですが、
それはあくまでも今回のウクライナ兵の麻薬中毒および、
大日本帝国の満州・朝鮮における麻薬製造の実態からの類推だった。
しかし上記のような事実を物語る人々が現存しているわけですから私たちはこの問題から目を背ける事はできない
ということです。
来年からは大急ぎで日本近世史 =幕藩体制の歴史を完成し、
その後急いで日本近代史=跛行的近代に取り掛かる必要があるわけです。

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