日本中世・近世・近代史への射程(3)

「地主的土地所有と近代『天皇制』」

昨日は、
西欧封建制と我が国の幕藩体制下の封建制を比較し、西欧における農奴とは土地所有の主体だったのであり、法的にもそれが認められていた点が奴隷とは異なるのだが、幕藩体制下の封建制においては農奴はおろか、封建的領主的土地所有も否定されていたと申しあげました。つまりここでは所有権などという法的概念などは、成立し得なかったということで、では、明治政府による地租改正によって、この幕藩体制下の農奴制は近代的土地所有に変わったのか、というと決してそんなことはなかったのだと安良城氏は指摘。

明治期以降の日本農業における基軸的な土地所有形態として法的確認を受けた半封建的な地主的土地所有は、第2次大戦後の農地改革によって最終的に解体せしめられたが、その生成・展開・解体の歴史において、明治前期は画期的な時期に属している。
この時期は、明治政府による上からの資本主義育成のための、本源的蓄積政策の本格化に伴う激しい農民収奪が進行する時期であり、これに照応して、地主的土地所有の急激な拡大が見られ、1892(明治25)年には、全国耕地面積の 40.67%は小作地に転換するにいたっている。

とされているわけです。

以上のような社会経済史的研究は何を目的としてなされたのか、
といえばそれは十五年戦争を推進し国民に塗炭の苦しみをなめさせた、
近代「天皇制」の物質的基礎を解明するためであった、
と安良城氏は本書で述懐されています。
そして明治維新の位置付けについては以下のように定義されます。

徳川幕藩体制社会を止揚し、日本近代社会の起点としての明治維新たらしめたのは、いうまでもなく土地永代売買解禁・田畑勝手作制限撤廃を始めとして、徴兵制・官僚制・秩禄処分の実現を必然的に要請するところの地租改正を中軸とする第(2)段階に他ならず、したがってまた、明治維新の理解は、地租改正を中軸とする一連の土地制度の変革の歴史的意義解明を措いては果たされ得ない。
――(中略)――
明治維新が、ロシア・ドイツの農奴解放・農民開放に比定される所以は、まさにそれが、上から形式的に実現されたものであり、封建的生産関係一般を廃棄したものではなく、封建的生産関係の一形態たる大名領主―本百姓間の、本来的農奴関係を一定の仕方で、すなわち有償解放(秩禄処分を見よ)で変革したに過ぎず、上からの資本主育成にとって必要な側面においてのみ、すなわち、封建的生産関係の一形態のみを否定したに過ぎないからである。この点は、上からの資本主義育成が、明治維新を通じて樹立された天皇制絶対主義的権力によって推進されるという事態の中に集中的に表現されている。

では、この天皇制絶対主義的権力を理解するには、
どうしたらよいのかといえば以下のように説明されております。

《古代天皇制》の成立・存続を抜きにして、あらゆる時代の天皇・《天皇制》を論ずることができないのは当然であって、ここに近代・現代の天皇にもつきまとっているその前近代的性格の淵源を求めることができるのであるが、近代「天皇制」についての正確な認識なしには、前近代の《天皇制》や天皇存在、そしてまた現代の「象徴天皇制」を的確にとらえることができないということも十分に理解される必要がある。
――(中略)――
「天皇制」という言葉・概念は、近代「天皇制」を把握するものとしてもともと成立してきているのだから、近代「天皇制」の正確な認識こそが必須となるのである。人間についての科学的認識の確立が猿についての科学的認識を可能とさせたのとまったく同様に、近代「天皇制」の正確な認識こそが《古代天皇制》や《中世天皇制》の的確な認識を助けるのである。こういう方法的見地に立たない、天皇がどの時代にも存在していたというわかりきった事実から天皇研究を再構築すべきだ、などという網野善彦流の無方法的な中世天皇論が、中世天皇についての虚像の強調に陥ってしまうのは必然的である。
天皇は、常に支配階級の一員であり、秩序の象徴、保守の象徴、としての天皇として存在しており、だからこそ、支配階級にとって常に様々な利用価値があるのだが、日本歴史上のどの時代をとってみても、天皇が国民や庶民であったことはいまだかつて一度もなく、国民や庶民を代表する言動も一切なかった。また、国民や庶民が天皇を利用するなどということは歴史上一切なかった。
だから、権力的天皇と儀礼的天皇のいずれが、天皇の本質であるか、といった議論(津田左右吉・石井良助に始まり最近の網野善彦氏)は、問題の立て方がそもそも間違っている。

氏はさらに論を深めてこの近代「天皇制」概念が、
日本の中国侵略が世界戦争勃発につながって行く中、
コミンテルンの32年テーゼに基づいていること、
またこれがその後の日本の社会科学に絶大な役目を果たした、
「日本資本主義発達史講座全7巻」(岩波書店32~33年)、
につながっていったことも明らかにしております。

近代「天皇制」下の天皇は次の三つの基本的側面を持っていた。
(1) 旧憲法において天皇は、皇族・華族・士族・平民の頂点に立ち、あらゆる権力を一身に集中している権力者であって、支配階級編成の要となっていた。
(2) 天皇は、「大日本帝国憲法」「教育勅語」「軍人勅諭」が象徴的に示すように、一切の批判を許さない「神聖不可侵」の存在であると同時に、階級支配にとっての究極的権威であった。
(3) 戦前の天皇は、日本最大の地主、日本最大の株主(資本家)であって、剰余労働の最大取得者であった。
――(中略)――
「天皇制」概念は、何よりもまず、戦前日本資本主義の下における日本近代に独自な権力機構概念として定立されたものであった。だからそれは、6世紀から 20世紀まで天皇が存続しているから、日本はずっと天皇制の下にあったといった俗論とは、全く違った次元において成立したものである。
このように社会科学的に成立した「天皇制」概念に基本的に対立した歴史把握は、幕末国学興隆のうちに形成され、尊王攘夷運動・尊王倒幕運動の中で凝固して、明治維新以後の支配イデオロギーの基礎となった「皇国」概念であった。この「皇国」概念は、万国対峙という国際情勢に対応し、儒学的思惟(中国を中心とする中華思想の下では、夷狄に位置付けられている日本)から離脱するという幕末期の国民的課題に対する国学的対応(
幕末日本的ナショナリズム)の所産にほかならなかった。
――(中略)――
この「皇国」概念は、日本中世に成立した「神国」思想とむすびつくことによって、「天皇制ファシズム」が台頭する 1930年代から敗戦までのわずか十数年間とはいえ、神がかり的でファナティカル「皇国史観」として跳梁するにいたったことは、史学史上において周知の事実に属している。
平泉澄を頭領とする「皇国史観」派は、そのイデオロギー的情熱を傾け天皇賛美・渇仰を力説してやまなかったのだが、「皇国」概念を単なるイデオロギー的概念をこえた学問的概念にまで昇華させることは出来なかった。

最近はほとんど聞かれなくなったこうした学問的アプローチですが,
本書が書かれた 80年代までは、
わが国にもこうした健全な知性がまだ残っていたわけです。

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