不文律とは何か

 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、言ってみれば大衆向けの心理操作でしたが、戦争を遂行・指導した軍人・政治家・官僚・財界人等について占領軍はどう対処したのでしょうか。もちろん東京裁判に向けて110人の日本人が巣鴨プリズンに収容された他、公職追放を受けた大勢の者たちがいたのですが、彼らのほとんどがその後復帰し戦後社会の指導者になっていったことは、「時代区分への壊疑」でも検証してきたところです。A級戦犯(容疑者)や公職追放を受けた者たちは、復帰する間にあるいは公職追放を解除される前に、どこかで"悔悛の情"を示したのでしょうか。こう考えるのも、前節で述べたような"徹底した洗脳"を意図していた占領軍が、"確信犯"に近い指導層を何故短期間で"赦免"したのかが不明だからです。

 この疑問に答えてくれるのが、何故A級戦犯(容疑者)が「その後むしろ戦後社会で政・財界などの頂点に立って、日本の進路を決めた人物」になっていくことが可能だったのかを解明することであり、その過程で戦後史の謎が解けていくと保坂は述べています。

 アメリカを中心とする国連軍が日本占領に取りかかった直後から始まった戦犯容疑者の逮捕出頭後、1946年5月の東京裁判開始時点までに巣鴨に収容されたA級戦犯容疑者は110人だったとされています。そして約2年半の審理の中で有罪が言い渡されたのが28人、うち東條以下7名が死刑・16名が終身禁固・2名が7年と20年の禁固、大川周明他3名は免訴もしくは病死という判決が1948年11月に出されます。残り82人のA級戦犯容疑者は次々と釈放され、最後まで残った19名が12月24日釈放されたことで東京裁判は終結します(その前日に死刑囚7名の絞首刑が行われた)。

 こう書いてくると、東京裁判は発足当時は仰々しく報道され、今でもその是非が論議される歴史的な法廷だったのでしょうが、これらA級戦犯は講和条約発効後に刑期を短縮されて、-それ以前に死亡した者を除き-全員が釈放されており、「まったくうやむやのうちに終わったといっていい」のです。この頃からA級戦犯(容疑者)たちは公然と社会的活動をしていくこととなるのですが、その理由を保坂は、
「(彼等は)戦後史の中に巧妙に泳がされていったのではないか」
「戦後社会でも日本の指導者たりうる要人に〈アメリカには二度と逆らうな。われわれは決しておまえたちを見逃しはしないぞ。決して許したわけではないぞ〉というメッセージ」
を、"七人の絞首刑"を見せしめとして突きつけたのではないかと述べています。実際、東京以外の外国で処断されたB・C級戦犯が-ソ連・中国等を除き-5,700人余り、うち死刑判決が984人(後に減刑された者も多い)という事情と比較すると、保坂の言にも信憑性が出てくると思われます。

 日米関係の基軸となるこうした重要な点について、姜は次のように指摘しています。
「旧帝国のリベラルな天皇重臣やそのまわりのエリートたち、さらにそれを引き継いだ戦後日本の政府や外交当局者たちが自分たちの『不文律』としたのは、『アングロ・サクソン』の覇権的な支配と衝突してはならないということであり、それとの同盟関係、あるいは見方によってはそれへの『パラサイト』によって国家としての日本の地位、その権益を安定させようとする考えでした。今もこの『不文律』は生きていますし-(中略)-その傾向が一層鮮明になっている。」

 しかし、「昭和天皇独白録」で裕仁自身が日米戦争を"黄白の闘い"だったと言っていますし、第一次大戦後の「パリ講和会議」(1919年)に日本が提出した「人種差別撤廃条項」が、当時のアメリカウィルソンや白豪主義を唱える豪州などに一蹴された経緯もあるのです。こうした点について磯田は、西尾幹二の「西欧の無知・日本の怠惰」から次のように引用しています。
「総じてヨーロッパ人がアジアに対する『公正』や『公平』を気取ろうとする時は、ヨーロッパの優越がまだ事実上確保されている場合に限られよう。もし優越がぐらつき、本当に危くなれば、彼らの『公正』や『公平』は仮面をかなぐり捨て、一転して、自己防衛的な悪意へと変貌することにならないとも限らないのだ。」

 日本の外交基軸が米欧のみを向いていること、日本人には欧米しか眼中にないことは以前にも述べましたが、誤解を恐れずにいえば、欧米人は恋い焦がれてすり寄って来るアジア人のことなど本気で相手にはしていないということでしょうか。どうやら私たちは、パートナーを別に見つける必要があるようです。

【参考文献】
「近代日本総合年表」第一版(岩波書店)
武者小路・姜・川勝・榊原「新しい『日本のかたち』」(藤原書店)
オープンコンテントの百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
保坂正康「昭和史七つの謎」(講談社文庫)
歴史ぱびりよん 概説・太平洋戦争 終戦工作その1 マスコミが隠してきた日本の真実を暴露するまとめサイト GHQの占領政策と影響
吉本隆明「現在はどこにあるか」(新潮社)
関東学院大学 自然人間社会
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